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私たち家族の「優先席」

 おばあちゃん,お母さん,小学校低学年くらいの女の子,幼稚園年少さんくらいの女の子の4人が,地下鉄で「優先席」に陣取り,一心不乱に?知育グッズを使った「お勉強」をしていました。

 教育関係の仕事をしている自分としては,突っ込みどころ満載の光景。

 本来「優先されるべき人」には一切目もくれず,ひたすら課題に取り組む三世代。

 子どもが「やりたい課題」ではなく,親が「やらせたい課題」に取り組ませる姿勢。

 子どもが「やりたいように」ではなく,親が「やらせたい」ことをペンをもつ手をつかんで「やらせる」姿勢。

 何も,こういう三世代が再生産されていることを嘆くためにこの記事を書いたわけではありません。

 全く同じようなことを,学校教育のプログラムは行っていく仕組みになっていないか。

 その「優先席」に座らせられることが,幸せなのか不幸なのか。

 そもそも今は,「急行」や「特急」ばやりで,

 「少しでも早く先に着いておきたい」という欲望ばかりが満たされる社会になっていないか。

 ジブリ映画『風立ちぬ』では,大地震が発生したとき,主人公は列車に乗っていました。
 
 ~等車と等級が分かれている車両ではなく,連結部分の外に座っていたことにも,メッセージが込められていたのでしょうか。

 結核で亡くなる裕福な家庭の人。

 仕事も食べ物も十分ではないが,生き生きと過ごしている人々。

 移動中も娘の「お勉強」の面倒を見るのが「母親としての重要な役割」と考えている人。

 「家庭の教育も大事」というかけ声はわかるものの,

 「優先席」につくために努力させられている子どもを見るのはつらいものがあります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より