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0.2%の差が大騒動に

 県で実施した学力調査の平均正当率で,岡山市が倉敷市に抜かれたことがニュースになっている。

 どちらも県の平均を下回っているようで,倉敷市が浮かれているわけではないことも記事では示されている。

 たった0.2%の差でも,順位をつけるとこうした大きな騒動になる。

 6000人と4500人の平均正当率の差であるが,

 これで岡山市は「課題を洗い出す」などと本気になっている。

 「こんな差には意味はない」

 と吐き捨てるのは簡単な話だが,

 「~市に抜かれた!」などという「衝撃」でも与えないと,授業改善に本気で取り組もうとしないのが,

 行政や学校現場の課題であるのも確かである。

 そもそも,60%を割り込んでいるような学力の状況自体が課題といえるような

 問題なのか,そうではないのか。

 地域間の学力格差とは,何%くらいの開きがあれば,「格差がある」と言えるのか。

 そういうことを分析できる専門家が存在しないのが日本の教育界というところなのだろう。

 0.2%でもどこどこの市には負けたくない,

 こういう発想自体が情けないと笑い飛ばせることができない人が,実は多いのではないか。

 受験という競争をくぐり抜けてきた人たちにとって,1点の重みは半端ではない。

 とはいえ・・・。 

 「倉敷市に抜かれるのは恥だ」とがんばる岡山市の先生の姿は,なかなか想像しにくいものである。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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