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いかがわしい受験情報に惑わされないように!

 まず,「内申書」とは俗称であり,「調査書」と呼ぶのが正しいことをご承知おきください。

 調査書に記載される「成績」は,観点別学習状況の評価のA~Cと,それを総合した評定の1~5です。

 観点別学習状況の評価の観点は,国語だけ5つあり,そのほかの教科は4つずつです。

 観点別学習状況の評価をつける上で,各学校では単元や時間ごとの評価基準を公開しています。

 ですから,どうして観点別学習状況の評価でAがついたのか,Bしかとれなかったのか,など,

 中学校側は生徒や親にくわしく説明することができます。

 学習の評価は,学習指導要領に示された目標に準拠した評価です。

 教師が勝手に定めたものではありません。学校全体できちんと目標・評価基準・評価方法は管理されています。

 特に注意が必要な「思考・判断・表現」の評価については,ペーパーテストに限らず,レポートや発表等の「表現されたもの」をもとに評価していますから,もし「どうしてこれだけのことが表現できていてBなのか」という質問にも答えられるようになっています。

 ペーパーテストでも,採点基準があいまいになるような問題は出題されることはありません。

 テストを返却するときに,詳しい採点基準が生徒に説明されます。

 減点された理由がわからない生徒は,すぐに教室で質問して,確かめるのが普通です。

 ただ,すべての生徒がすべての観点の評価について質問にこられると対応だけで膨大な時間がかかりますから,生徒や保護者の側も,遠慮なくどんどん聞ける,という状況にはありません。

 そもそも,「想定よりも高い評価・評定」がついた場合には,わざわざ理由を聞かないのが普通です。

 教師の側は,ボーダーの少し下に位置する生徒についてだけ,理由を用意している人が多いでしょう。

 基本的に,「教師のきまぐれ」で評価がつくことはありません。

 「説明責任が果たせる」ことを大前提に評価・評定がつけられることだけは,ご理解下さい。

 問題は,評価・評定のインフレ傾向です。

 これを高校側は問題にして,基準を上げたりしていますが,それが原因になってさらにインフレに拍車がかかる,

 というのが実態です。

 都立高校の場合,推薦入試にしろ,一般入試にしろ,調査書点と他の合否材料の比率はあらかじめ公開されています。推薦入試の場合は,「評定」ではなく,「観点別学習状況の評価」を点数化して入試得点に組み入れるところがあります。AとBとでは,点数にかなり開きがありますから,Aをとると圧倒的に有利です。

 各学校は,「求める生徒像」を公開し,それに合っていると考えられる生徒が選べるような仕組みをそれぞれ考えて示しています。1年前とは変わっている場合もあるので,最新の情報をきちんとチェックできるようにして下さい。

 ほとんど現場の実態を知らないで,HPを見ればわかるのにそういう基本的な労力もかけずにいい加減な情報を垂れ流している人がいるので,注意しましょう。

 相対評価が姿を消したのは,もう一昔も前の話です。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より