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ゲームから隔離するための義務教育5歳開始

 人間の言語能力の基礎は,5歳までに出来上がるという。

 ということは,親がどの程度,どういうかたちで子どもに接してきたかで,

 人間の言語能力の基礎が決まってしまうということである。

 親が二人とも長時間の仕事につかなければならないような子ども,

 仕事についていないが,育児に興味がない親の子どもは,

 残念ながら,言語能力の基礎が出来上がらない状態で小学校に入学することになる。

 「言葉が通じない小1問題」は,特に若い教師たちを中心に悩みの種になっているようである。

 義務教育を5歳開始にすることで,「最後のチャンス」が子どもに与えられることになる。

 「教育」は何もしなくても,

 とりあえず「ゲーム」から子どもを隔離して,

 人間との対話の機会を子どもに与えることで,言語能力の基礎は飛躍的によく固められるようになることが期待できる。

 できるだけ長時間,「預かってもらえる義務教育」を親たちは待望していることだろう。

 小中学校の「言語活動の充実」を実現させるために欠かせない条件が,

 ようやく整うことになりそうである。


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コメント

荒れている学校を経験されている方は実感がわくと思いますが,小中学校の一部は教育施設というより福祉施設と呼ぶ方が適当である状態になっています。

「保育園状態」という言葉を昔はよく使っていました。

別に保育園がそこまでひどい状態だとは思いませんが,一定人数以上になると全く集中力がなくなるのが保育園から上がってきた小学生であるという話は今でも耳にします。

幼稚園の場合は,詳しい情報が入学前から入ってきますので,すぐに対処できます。

保育園と小学校の連携を進めていくためにも,義務教育5歳開始はすぐにでも開始してほしい施策です。

 そうですかねえ・・・。
 東京はどうだか知りませんが、少なくとも私の地元では5歳児のほぼ100%が保育園か幼稚園に通ってます。特に保育園に預けていた親御さんは「小学校に上がったら保育園よりも早く帰って来るから大変になった」とこぼしています。小学生の方がゲームにかけられる時間は増えるんじゃないっすかね。
 ただ、義務教育が子どもを親から「隔離」する機能を持っているという意見には賛成です。近代以前は子どもは親の所有物として扱われていて、学校がそれを救う機能を果たしていましたから。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より