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中学校及び教科ごとの内申(調査書)の格差を考えるための資料

 中学校によって,教師によって,評定の付け方がまちまちだと,

 入試の合否判定の資料としての信頼性を欠くことになる。

 それを防ぐために実施されているのが,すべての中学校のすべての生徒の教科別の評定を教育委員会に提出させ,各教科で5~1の生徒がそれぞれ何%であるかを公開している仕組みである。

 中学校に評定の資料を提出させることによって,そもそも各高校に出されている調査書の数字が正しいものであるかどうかも,教育委員会に提出される「原本」と生徒が受検する高校に出しているものとが一致しているかどうかを調べることで確認するという作業も行っている。

 高校入試はほとんどの中学生にとって,人生でたった一度の経験であり,ここに作業上の「誤り」があってはならない。

 今回,採点間違い(チェック漏れ)という重大問題が発覚したが,調査書点の処理も決して誤ってはならない業務である。

 業者や高校側は,模擬テストや入試問題の得点と評定の相関がとれるから,どの中学校に課題がある(可能性が高い)か,どの教師の評定に課題がある(可能性が高い)かを知っている。

 教育委員会レベルでは,たとえば評定に1と2が全くない教科がある中学校や,逆に「5」の生徒が異常に多い中学校などを問題にする場合がある。

 したがって,評定で「ずる」はしにくいのが現在の入試制度である。

 以前は,ある自治体に関係のある議員が,「うちの区よりあっちの区の方が評定が甘い」などと問題にしていたことがあったが,基本的に

 目標に準拠した評価に基づいての評定をしていることになっているので,その「甘さ」を立証するのは難しい。

 授業参観を「適正な指導や評価をしているかどうかの調査」の対象としてやられたら,授業者はさぞやりにくいだろう。

 評価という行為は,評価される人間の活動を破壊することがあるのは一般企業でも同じだが,

 上記のような「歯止め制度」があることも知っておいていただきたい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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