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選手に好かれる監督 教員に好かれる校長

 部下に好かれる上司,国民に好かれる総理大臣・・・・・

 そもそもその立場になれる人はまれだから,選手や教員,部下や国民という立場から語られる内容となる。

 もしブラジル・クロアチア戦のあの「判定」が,ワールドカップの優勝決定戦で,ブラジルの反則としてとられたら,どうなっただろう。

 そもそも,そういう判定が下せる審判員がいるだろうか,という疑問はおいておく。

 サッカーに限らず,審判の判定が試合の流れを変えたり,勝敗を左右したりすることがあるのは,よく知られている。

 今日の話題の対象としたいのは,サッカーで言えば監督のことである。

 クロアチアの監督の猛抗議には,

 「選手を守るため」

 「チームの士気を下げないため」

 というねらいがあったとも言われている。

 判定の基準については,事前に説明があった,という情報もある。

 監督には,選手交代などで試合の流れをコントロールするような,選手とは別の重要な役割があることは言うまでもない。

 しかし,審判の判定への抗議のスタイルや「激しさ」には,人によって違いがある。

 どういう監督が選手に好かれるかと言ったら,こういうとき,激しく抗議する人だろうと言うことは想像できる。

 これを,企業の上司や学校の校長,総理大臣という立場の人に置き換えて考えてみたらどうだろう。

 体を張って,自分の首をかけて,部下を守ってくれる上司は,現実の企業社会にはどのくらいいるのだろう。

 その上司の行動のしかたによっては,企業全体を傾けることになる恐れもあることは忘れてはならない。

 総理大臣という立場の人間の行動で考えてみたらよくわかるはずである。

 ある出来事で「動いた」ら,別の同じ程度かそれ以上の出来事では「必ず動く」ことが要求されるだろう。

 学校の校長という立場の人間ならどうだろう。

 教育委員会や文部科学省の要求に,抵抗できるだろうか。

 そもそも,抵抗そのものを封じられている存在であるのが,公務員である。

 組織の外部に対するトップの抵抗力の強弱が,その組織内部の結束力の強弱と密接な関係にある,

 なんていうことを言うつもりはない。

 しかし,「何でも好きなことをしてもいい。教育委員会には私がうまくごまかしておく」

 という教員に好かれるタイプの校長が,幅をきかせている学校はどのくらいあるのだろう。

 都立高校の入試の業務の実態をここで取り上げるつもりはない。

 「好かれること」を上司などの「必須の要件」などと考えること自体が必要なことなのかどうか。

 「休養」に入った西武の伊原監督は,どんなことを今,考えているだろうか。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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