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40人という規模でも一致団結して動ける日本の小中学生の強さ

 1000人規模の集団が,毎朝,集会で整然と並び,挨拶できる学校がアジアにあることを知っている。

 やろうと思えば,日本の小中学校でも可能だが,規模が小さくなってしまっているので,

 実際に試してみることができる学校はごくわずかになってしまった。

 200~300人規模の集団で登山の隊列をつくると,最初と最後の時間差はどのくらいになるか,ご存じだろうか。

 こういうことを実際の指導で肌身にしみこませている学校もある。

 40人がそれぞれ勝手な行動をせず,一つの目標に向かってこつこつと努力しているような姿を見ることができる国はいくつあるだろうか。

 少人数しか経験したことがない地域の学校の子どもが,大規模校との交流を行うと,

 最も戸惑うのがこの「人数の壁」である。

 だれの指図も受けずに,そこにいる100人が一斉にゴミを拾ったりできる国はいくつくらいあるだろうか。

 集団を動かす指導には,コツがいる。

 子どもに集団をコントロールさせる指導をするにも,コツがいる。

 こういうことができなくなって,やむを得ず,少人数にばかり逃げるようになる中学校があるのを知っている。

 そこはなかなか立ち直れないでいる。

 学校を立て直すには,原点に戻るしかない。

 少子化が進む中,統廃合を進めないと,私のここまでの話は完全に異次元の内容となっていく。

 1クラスしかない学年のある小中学校が,全国でどれくらいあるかご存じだろうか。

 35人学級がどうとか言っている間に,極小規模の中で,

 「大集団」の体験が一切できずに成長していく子どもがどんどん増えている。

 いつかはここが「かつての日本」ではなくなるのは明らかだが,

 どういう方向に舵を切っていくかというビジョンがどこにもない。

 もはや,10年後の「惨状」を予想することすら困難な変化の激しい時代である。

 少人数指導のもとで「プレゼン能力」を鍛えられた生徒と,

 部活動邁進型や行事専念型という従来型の生徒と,どちらの「生きる力」が勝っているか,

 どちらの「プレゼン力」が勝っているか,どちらの生徒の「説得力」が高いか。

 競ってみても意味はないが,環境を子どもに自由に選択させた上でやってみたらどうなるか,

 興味のあるところである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より