「学校の成績(評定)」の意味が分かっていない方々へ
時計が大昔に止まってしまったままの人がいるようで,困りものである。
学校の成績(評定)が,3から4に上がったとする。
相対評価の時代は,必ずしも4に上がったからといって,その生徒の能力が向上したとは言えなかった。
成績が上の子どもたちが下がってくれば,自分に変化がなくても,「相対評価」は上がるからである。
しかし,今は,「目標に準拠した評価」=「絶対評価」になった。
しかも,「観点別学習状況の評価」に基づいている。
テストの得点だけで「成績(評定)」が決まるのではない。
関心・意欲・態度の面から見て,学習状況がどれくらいよくなっているのか,
思考・判断・表現の面から見て,基礎的な知識・技能がどれだけ活用できるようになっているのか,
ペーパーテストだけからは判断できないことも,
レポートや授業での発言,ノートの記録,グループでの活動状況などを
総合的にみることによって出されるのが
「成績(評定)」である。
だから,「自分もがんばったけど,みんなもがんばったから成績は上がらなかった」
などという相対評価の時代の「言い訳」は通用しなくなった。
「おおむね満足できる学習状況でしたよ」という「判定」が「3」である。
それに対して,「十分満足できる学習状況でしたよ」という「判定」が「4」である。
「5」をとるためには,「十分満足できる学習状況の中でも,特に優れた面がありました」という判断が下されなければならない。
とてもシビアな数字が,「成績(評定)」なのである。
問題にしなければならないのは,「おおむね満足」と「十分満足」とでは,どこがどの程度,違っているのか,という素直な疑問である。
40人の生徒がいて,みんな5になる,というのも不可能ではないと言えてしまうのが
絶対評価であるが,授業を少しでも参観してみれば,そもそもこの
観点別学習状況の評価自体の「不可能性」「不適切性」が明らかになる。
「成績(評定)」については,そこを問題にしないといけない。
しかし,お役所に楯突けない哀れな大学教授たちは,一律,口をつぐんでいる。
自分たち自身の評価にこれが導入されるようになってから反対しても遅い。
軍部に刃向かえないで日本を滅ぼしかけた人たちと同じだと早めに気づいてほしい。
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