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大津市教育委員会前教育長の無念

 「だめな教育委員会」の名を世に知らしめた大津市。

 暴漢に襲われた澤村教育長(当時)の後任には,何番目かの候補者だった富田氏が就いていた。

 その富田氏も,市長と対立して改革の現場を去ることになった・・・・。

 日経ビジネスの6月2月号で知ったことである。

 ブログのタイトルからもご想像できる通り,私は日経ビジネスでは

 『敗軍の将,兵を語る』というコーナーに目を配っている。

 失敗の本質がどこにあるか,その分析が経営の現場では進んでいると思うが,

 お役所となるとなかなかうまくはいかない。

 議論をしても,全くかみあわず,「これが民意だ」なんていわれると,

 そもそも「公立学校の現状は民意に添っているのか」という問題にも行き当たってしまい,

 手も足もでなくなる。

 首長の声がすぐに反映される仕組みにすれば,富田氏のようなことになる,

 といった図式で考えれば,教育委員会改革に反対の立場の人たちにとっては

 とても「都合のよい記事」である。

 予算の機動的な運用はとても重要だと思うが,

 現場の準備が整う前にお金と人をつけてしまうと,

 さらに現場の教育力は劣化する。

 それが学校を見てよく理解できていたのが富田氏であるが,

 いかにも,「教育長」がただの飾りに過ぎないことがよくわかる動きであった。

 杉並の藤原氏が校長ではなく,教育長になっていたとしても,何の変わりもないだろう。

 私は,民主党が政権をとっていたときに,

 どこかの「公務員天国」の自治体のように,「教師天国」が生まれてしまう危惧を抱いていた。

 しかし,何も変わらなかった。

 変える能力が全くなかったこともわかった。

 教育は票には結びつかない。

 行動力を売りにしている政治家は,「すばやさ」だけが勝負となる。

 4年以内に入れ替わるかもしれない人間によって,短期間にあっちこっちと方針が揺れ動くばかりとなる。

 これは,少しでも有利な天下り先を探そうとしている役所の体質にも似ている。

 財務省の顔色をうかがって,とれそうなところだけから予算をとる方針は,本当に見苦しい。

 やる気のあるところにお金をばらまいて,何かしたことにしようとしているが,

 そこで役所からやってきている人間が動かしているとしたら,

 結局は自己完結型の「お試し」に過ぎないで終わってしまう。

 それが今までどれほど繰り返されてきたか,現場を去った方々は痛いほど感じているはずである。

 「昔の方がましだった」という声をあちこちで聞く。

 お金はなくても,できることがある。

 たったそれだけのことだが,お金で人を動かそうとしている人間がいる限り,

 日本の教育は教室と事務室が分離したまま,何も変わらないままなのだろう。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より