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他人を救うつもりで他人だけでなく自分も滅ぼす子どもたち

 問題行動を起こす子どもたちは,滅多に「仲間を売る」ことをしない。

 嘘をついてでも仲間を守ろうとする。

 これは,「仲間を売ったやつ」として後でいじめられないようにする,という自己防衛策かもしれないが,

 純粋に「友達を売ることはできない」と思って隠したり嘘をついたりもする。

 「今回は私が守る方だが,次の回は自分が守られる側になる」という意識があるかもしれない。

 道徳の授業をまじめにやっている中学校では,こういうケースを題材にして,

 徹底的に議論させると,

 「仲間を売る」ことと「仲間を救う」ことがイコールであるという結論に達することができる。

 しかし,中学生に正面から向き合えない教師が授業をしたり,

 道徳にまじめに取り組まないと,

 (余談だが,小学生の私の娘は,4月から5月が終わろうとしている今まで,一度も

 道徳の授業をやっていないと「証言」している)

 正直に悪事を白状し,関係する生徒を教師に教えた子どもはいじめられるし,

 芋づる式に出てくる「共犯者」たちがまた勝手な行動をし出したりして,収集がつかなくなる。

 正直者がバカを見るような環境をつくってはならない。

 大学の犯罪心理等の研究者は,ぜひ

 犯罪者たちの中学校時代の担任に聞き取り調査をしてもらいたい。

 犯罪者たちではなく,担任だった教師たちに共通点が見つかるかもしれない。

 まともな人間が教育をすれば,犯罪は減らせるという仮説が成り立つ可能性を信じたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より