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『教育の極道』さんへのお便り

 『教育の極道』の組長さんに向けてのご挨拶文を転載しておきます。

 小中学校の活気とは,まずは学校規模にあるというのが私の持論です。

 段階の世代の方々が学校で暮らしていた頃とは,まさに雲泥の差でしょう。

 中学校の活気は,「部活がさかんかどうか」で決まります。

 小学校は20分休み,昼休みの校庭が,

 中学校では放課後の校庭のにぎわいが,まずは「学校の活気」を示すバロメーターになるはずです。

 東京都の場合には,進学実績に目をうばわれるような傾向もあり,

 校庭がとても狭い学校の人気が高まることもあって,何だか寂しい気持ちです。


*******************

はじめまして。

私たち教師に対する厳しいご指摘,いつもありがとうございます。

組長さんは,団塊世代以上の方でしょうか。

私は20年以上,中学校の現場にいますが,団塊世代の教師をうらやましく思うことがありました。

まず,生徒数が増え,学校規模が大きな時代を経験していること。

同じ年代の教師が多く,同僚というより友達のような関係や師弟関係のようなものが平成一桁くらいまでは残っていました。

しかし,学校規模がどんどん縮小し,30代,40代の教師というのは,同じ年代の仲間がほとんどいない学校も多いのです。

団塊の世代が大量退職し,今度は大量採用の時代に入っていますが,もちろん学校の規模が小さいままで大量採用になっていきますから,学校運営はこれまでになく厳しいものになっていくことが予想されます。

学力については異論もありますが,いわゆる「ゆとり世代」が次々に現場に入っていくのです。

私の場合は,とにかく学校規模を適正に・・・中学校なら,1学年4クラス程度になるような統廃合を進めることが行政側の急務だと感じています。

小学校の単学級などは,本当に若い先生にとっても気の毒ですし,2学級でも,良い先生のクラスと比較されて悲惨です。

学区域が大幅に拡大しますが,小さい地域に閉じこもって生きていくような時代ではないと思っています。

長文で失礼いたしました。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より