ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「荒れている中学校」が公開している学校評価等からわかること | トップページ | やるべきことから逃げてはいけない~40歳を向かえるコンビニ~ »

大人による子どもの荒れの原因の「単純化」が招く子どもの荒れ

 授業づくりだけでなく,生徒理解についても,今は教員研修のメニューも多様化しているから,わかったようなつもりになっている教師は少なくない。

 研修の本来のねらいは,「分かったつもりになるな」という教訓を脳裏に釘を打ち込むようにたたき込むためにあるのだが,どうも「正解がないと気が済まない」というテストの害毒に犯された人間が教育関係者には多い。

 思春期の子どもの「荒れ」の原因ほど特定するのが難しいものはない。

 大人や教師は,その「理由」を知りたがったり,わかったつもりになりたがったりするものだが,

 そういう態度そのものが子どもにとっては「ムカツク」原因にもなる。

 荒れている生徒の側にも,その理由など分かりはしないのである。

 分からないからイライラして落ち着かないのであって,それをもっとイライラさせるのが,

 こうだからだろう,ああだからだろう,と詮索したり納得したりしたがる大人や教師の態度である。

 問題の原因や背景を単純化し,解決できるつもりになるような人間は教師には向かない。

 そういう人間がいるだけで,子どもの荒れが増幅する原因になる。

 研修などでは耳にたこができるほど聞かされる話だと思うが,

 生徒が荒れている原因を分かろうとする態度ではなく,

 生徒が荒れずにはいられないという心の不安定な状態であること,その原因は単純なものではないという事実を理解することや,最大の要因は自分にあるのかもしれないという想像力こそが大事なのである。

 気の毒なのは,勝手に「おまえには上昇志向がない」などとレッテルを貼られて迷惑がられる生徒である。

 教育現場で生徒だけでなく,同僚にも最も嫌われる教師というのは,

 勝手に分かったつもりになっている人間である。

 書かれていることそのものが,「担任を持たせるわけにはいかない」教師の典型のような「お手本」がある。

 トラブルメーカーの標本にしてあげたいくらいである。

 自分がトラブルの原因になっていることを自分の脳では絶対に認めないしくみになっているのが究極のトラブルメーカーである。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 「荒れている中学校」が公開している学校評価等からわかること | トップページ | やるべきことから逃げてはいけない~40歳を向かえるコンビニ~ »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

いじめ問題」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大人による子どもの荒れの原因の「単純化」が招く子どもの荒れ:

« 「荒れている中学校」が公開している学校評価等からわかること | トップページ | やるべきことから逃げてはいけない~40歳を向かえるコンビニ~ »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より