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教師にとって必要なのは「不安感」

 人間には,無意識的に自らの不安を取り除く機能があるらしく,

 緊張するはずの教育実習生でも,とてもしっかりした指導案をつくり,

 最初の授業を落ち着いて「こなす」ことができる学生がいます。

 自分の教え子が実習生として母校に帰ってくる頻度が高くなってきました。

 こういう実習生たちに私が使うのは,「攪乱戦法」です。

 指導案には,もっと「不安要素」がなければならない。

 授業には,さらにそれを上回るような「何かが足りない感触」がなければならないのです。

 「あなたが本当に教えたいことは何ですか?」

 と繰り返し問ううちに,普通の実習生は次第に混乱してきます。

 そして,自分が自然に自分を納得させてきたこと,

 何となく安心させようとしていたことに気づけるようになります。

 普通の人間ならそれでもよいのですが,

 「教育者」「授業者」は違います。

 ある計画でうまくいくような気がしても,決して油断をしてはなりません。

 実施の直前まで,いえ,授業が始まってからも,油断は禁物です。

 この授業で,生徒が理解しなければならないことは何か。

 どのように理解することで,知識が定着するのか。

 今回の授業で定着した知識は,いつ,どのようなかたちで活用されるのか。

 先を見すえた授業の「経営」ができているのか。

 とてもスムーズに授業が運び,満足そうに帰ってくる実習生に突きつけられるのは,

 残酷な宣告です。

 授業の「終わり」とは,「終わり」のことですか?

 授業の「終わり」が「始まり」になっていない授業をしていませんか?

 鎌倉時代の文化の学習を終えて・・・

 生徒が,こんな質問をしてきたら,何と答えますか?

 ・・・・・運慶と快慶の関係は?

 私からは,

 ・・・・・運慶や快慶らに仏像の受注がまわってきた背景は何ですか?

 と聞いてみたいですね。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より