ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 上から目線が大嫌いと言いながら,上から目線にすり寄っていく人間たち | トップページ | 教材提示なら Andoid のタブレット機 »

なぜ勝ち続けることができるのか?

 私は,商品の割引がなく,単価が高い印象が強いコンビニが,ここまで成長を続けることができるとは思ってもみなかった。

 今でもペットボトル飲料をコンビニで買うことはない。

 スーパーが近くにある地域では,商品によっては確実にスーパーが勝ち残れるだろうと考えていた。

 しかし,スーパーよりもコンビニの方が,惣菜がおいしい。弁当の種類が豊富で,飽きがこない。

 コンビニにはATMがある。

 メール便が出せる。

 徐々に,「コンビニ利用率」が高くなっていることに気づいたのはいつごろだろうか。

 もちろん,地域によって事情は異なるだろうが,

 ネット販売を別にすると,コンビニは流通業の最終形態になるのではないかと思ってしまう。

 それは,コンビニのこれまでの成長に「終わり」がなかったことと関係する。

 手元に,「セブン‐イレブンだけがなぜ勝ち続けるのか?」(日経ビジネス人文庫)という本がある。

 ページをめくると,

 学校教育にたずさわる立場でも,学ばなければならないことがたくさん目に飛び込んでくる。

>ベテラン店長が業績不振の店をまかされたとき,まず第一にやるのが,掃除の徹底だ。

 荒れた学校は,見た目から「荒れている」ことが多い。

 ものが散らかっている。職員室も,雑然としている。廊下にものが放置されている。

 トイレのドアなど,修繕すべきものが壊れたままになっている。

 どんなに荒れている学校でも,清掃活動に真面目に取り組んでいる生徒がいる。

 この生徒たちの心が常に踏みつけられていることを教師は自覚しなければならない。 

>よく売れているものほど飽きが早く,すぐ売れなくなってしまう

 教育の世界にも,「流行り廃り」がある。

 人が飛びつきやすいものというのは,奥が浅いものであることが多い。

 教師は子どもにとって最善の教育をする余裕がないため,

 自分にとって最善の(最もらくちんの)教育のお仕事を営もうとする傾向がある。

>セブン‐イレブンの開発商品も,PBのセブンプレミアムも,その商品個々に,誰がつくったのかという生産者名が明治されている。同じスペックによってつくられたセブン‐イレブンの商品の場合は,これをつくった生産者の工場名が明記されている。

 これは,同じ流通業界でも珍しいやり方だろう。

 学校では,「組織として責任を負う」という発想から,特定の事業を企画立案し,立ち上げまで努力した人間の個人名は残ることがない。

 私が赴任していた中学校の校長先生は,個人の名前を残すことに気を配ってくださっていたが,こういう人はごくまれであろう。手柄は上司が握っていればよいというのが組織である。

 公立学校の異動のシステムは,企業のように「意味のある人事」になっているかどうか。

 学校は,社会のどこかに潜んでいるかもしれない子どものための「新たな価値」を顕在化させることに,どれだけ寄与できるだろうか。

 今までかなりの数の生徒にコンビニの秘密を探らせるための聞き取り調査を実施させているが,いまだに,「やさしく丁寧な回答をしてくれなかった」というコンビニが一つもない。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 上から目線が大嫌いと言いながら,上から目線にすり寄っていく人間たち | トップページ | 教材提示なら Andoid のタブレット機 »

教育」カテゴリの記事

学校選択制」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

社会科」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

コンビニは便利だけれど、そこで食べ物を買う気になれないですよ
何故かというと、食品添加物がかなり入っています。

特に人工甘味料には気をつけましょう。カロリーがああしたこうしたというぐらいなら、その分運動するほうがいい。
甘味料は神経毒で、甘み以外の味覚を感じなくしてしまう作用があり、微量とはいえ、あまりとらない方がいいです。神経伝達物質が乱れる可能性高いです。これは脳に悪い物質ですよ。それ以外の添加物もいろいろ害があるけれど認可されたものもあるようです。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: なぜ勝ち続けることができるのか?:

« 上から目線が大嫌いと言いながら,上から目線にすり寄っていく人間たち | トップページ | 教材提示なら Andoid のタブレット機 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より