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総合的な学習の時間の意義がまだ知られていない

 総合的な学習の時間が破綻していることを問題にしているブログがある一方で,

 今さらながらにその意義を訴えているブログがある。

 共通するのは,両者とも総合的な学習の時間の指導を経験したことがない「部外者」が語っているということだ。

 「ゆとりのなかで生きる力を育てる教育」の目玉に,

 この「総合的な学習の時間」があった。(というより,今も,ある。)

 その成果を10年以上にわたって出し続けている学校がある。

 ただ,その価値を直接知ることができない人がほとんどである。

 学校の充実した教育のニュースは,公開されることはないし,

 学校の側も,それを公開する暇はない。

 そんな暇があったら,学校の教育の充実の方に時間を振り向ける。

 しかし,それを邪魔しているのが中央官庁の仕事である。

 地元の教育委員会のように中央官庁の末端としてこき使われている事務所は,

 現場の大変さを知りつつも,少しでも余裕のある学校や教師を犠牲者にして,

 中央官庁に「ご奉仕」させているが,本来,奉仕すべき対象は地元の子どもたちでなければならない。

 地道な教育活動で地域社会の基盤を固める役割を担っている学校も数多くある。

 そういう学校では,地域と学校と結びつける絆として「総合的な学習の時間」を活用している。

 社会への窓であると同時に,学校の窓として,社会から見える教育活動の柱を「総合的な学習の時間」にしている学校への訪問をおすすめしたい。

 大昔の教育者を引き合いに出すのもいいが,学ぶ対象は目の前にある。

 本の世界に埋没していては,真の学校教育の姿はいつまでたっても語れない。

 時間が有り余るほどあり,それで教育のことを語りたければ,自分の足で優秀な教育実践を探しだし,見定めて,公開してくれるとありがたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より