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教育の世界の「救世主」はだれか?

 教育を語る場合,多くの人には思わず「遠慮」してしまう個人的な事情がある。

 今の中学生のふがいなさを語る自分自身の中学生時代はどうだったのか。

 そして今,どれだけ立派な「大人」になっているのか。

 親として中学生を教育した経験があるのか。

 どれだけ立派な「中学生」を育てているのか。育てあげてきたのか。

 中学生を本気にさせる話ができるのか。

 今のその自分の言葉に,どれだけの人が耳を傾けているのか。

 聞いてほしい人に,聞いてもらえるような,

 読んでほしい人に,読んでもらえるような,工夫をしているのか。

 「教育」は,「政治」などとは異なり,だれもが通ってきた道である。

 多くの人が,結婚し,子どもをつくり,育てていく。

 だからこそ,自分自身のことを棚上げして,言葉をかけにくいという事情がある。

 しかし,そういう精神的なストッパーがはずれる空間が誕生した。

 それがネット上の世界である。

 「そんなものにかかわっている暇はない」という人間も多いが,

 どうしても「聞き捨てならない話」は,放っておけないという人もいる。

 ネット上の世界は,そういう人も増やしてくれている。

 こういう変化は,教育を良い方向に導こうとしているのか,崩壊へと招き入れようとしているのか。

 きっと,両面があるのだろう。

 今までの教育の成果は,「無責任体質の醸成」にあったと考えられる。

 「あなたに何ができるか」を問われないことを前提とした,お気楽な意見の発表の場がネット上の世界である。

 学校現場でも,「無責任体質」をさらに熟成させようとしているのが,「学び合い」の手法である。

 教員がこれほどまでに無責任でいられる手法はない。

 未来への危機意識を痛切に感じられるのは,自分を守りたいという心理的な規制がはたらく教員や親ではなく,もう自分の力で育てられる人がいない年代の方々なのかもしれない。

 昔は,こういう口うるさい地域のおじさん,おばさんがいて,子どもは大きく道を踏み外すことなく,常識をわきまえて成長することができたが,今,面と向かって他人の子どもを叱る勇気のある大人がどれだけいるのか。

 授業妨害している中学生を廊下に引きずり出せる参観者の頑固親父は,漫画の世界の話なのか。

 危機を回避する能力を発揮できるのはだれなのか。

 まずは,現場の教師たちには,自分自身の危機ではなくて,これからの社会の危機を「感じる」力を育てることが先なのかもしれない。

 教育を「語る」資格はだれにでもある。

 わがままな親をも怒鳴り飛ばしてくれる地域の頑固おじさん・おばさんこそが,教育の救世主なのかもしれない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より