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過剰な自己陶酔感に危険性をかぎとる日本文化

 福岡市の小学校教師が,「指導者」を教室に招き,児童に居酒屋式挨拶をさせている映像が公開されており,話題になっている。

 この「指導者」の取り組みについては,クローズアップ現代でも取り上げられたようだが,番組内の評価は「マイナス」色が強かったようで,「指導者」はNHKに抗議を行っているらしい。

 いきなり話題はとぶが,私たち日本人は,先の大戦から何を学ぶべきなのだろうか。

 戦争の遂行を支えるのは,国民である。

 開戦の決定を下すのは政府だが,国民の大反対がある中での戦争開始はあり得ない。

 戦争が始まると,国民は新聞が伝える(偽の情報も含めて)戦果に酔い始めた。

 「軍国少年」「軍国少女」の日記を読むと,中には本心から書いているわけではないことを願いたい内容に出会うことが多い。

 長期にわたる戦争の遂行を支えていたのは国民であることを決して忘れてはならない。

 私たちは,過剰な自己陶酔感が誤った判断をもたらし,それによって多くの人を傷つける恐れがあることを知っている。

 集団に対するマインドコントロールに近い「指導」には,一種の危険性を覚える敏感なアンテナをもっている人が多いはずだと感じている。

 東京ドームに足を運ぶと,外野席と内野席の温度差に面食らう人も多いだろう。

 フィールド内では試合開始前の盛り上げ役がいて,観客を動かそうとしているが,そんなことにはそっぽを向いている人が多い。

 野球場には,応援したいチームがあり,応援したい選手がいて,すばらしいプレーを観るために訪れているのであって,全員での応援で盛り上がりたいと思っているファンばかりではない。

 自らその場にいることが選べるわけではない小学生に対して,

 居酒屋式挨拶の練習をさせる教師の感覚は,少なくとも私がもっているものとは相当にかけ離れている。

 ネット上でも批判が殺到しているようだが,どうして批判されるのか,その教師はわかっているのだろうか。

 「勝手に撮影され,公開された」という主張もわからないではないが,それでは

 「ばれなければ何をしてもいい」という言い訳に聞こえる。

 小学校では,「授業でのノリが悪い」ことが罪悪視される。

 だから,「ノリのよい雰囲気をつくりたい」と願う教師の心はわからないでもない。

 しかし,居酒屋風挨拶の効果が,長続きするとは考えられない。

 浮き沈みが非常に大きい授業がこれから繰り返されることになるだろうと想像する。

 教師は常にハイテンションでいなければならない。

 最近の子どもたちは,問題行動を起こして指導を受けるときに,

 堂々と「ノリでやってしまいました」と話す。

 「だから悪くない」という態度である。

 「考える力」を奪う教育とは何かを久しぶりに目の当たりにした。

 従業員教育には,最適の方法であることも実感できた。

 近隣諸国の中に,これと同じようなことをしている人々がいることを,早めに児童たちには教えてあげたい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より