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AKB 握手会事件の防衛策

 避難訓練を行うのは当然だが,学校では不審者対応の訓練をどのくらい行っているだろうか。

 行っていない学校では,どれくらいの教師が覚悟をもって,校内を巡回しているだろうか。

 私は校内で公言してはいないが,不審者対応のための校内巡回を毎日行っている。

 私のような荒れた学校の経験者には,独特のカンが働く。

 校内を回っていれば,隠れて違反物を扱っている生徒などがすぐに発見される。

 何か悪いことをしている人間からは,独特のオーラが漂うものである。

 AKB の握手会ではとうとう事件が起こってしまったが,これは主催者側の危機管理能力不足が招いた事態だろう。

 「握手会の管理は難しい」などと答えている人もいるが,

 確かに,「ばれないように近づいて傷つけるつもり」の人間はなかなか見破れない。

 しかし,「だれでもよかった」などと考えて凶器を持っている人間には,

 それなりの空気が漂うはずである。

 これを見破る能力のある人は,警備会社の人間なら少なくないだろう。

 学校では,「はい,見破られました」とあきらめる中学生とのアイコンタクトが毎日繰り広げられる。

 犯人は,そういう余裕が全くない人間だったに違いない。

 事件が未然に防ぐことができなかったことが,たいへん残念でならない。

 ちなみに私はAKB のファンではないが,

 まだAKB のメンバーが本当に駆け出しのころ,

 お台場でたまたま見かけたことがある。

 若いのに,本当の肉体労働者であると気の毒に思った。


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コメント

 独特のカンを育てるには,子どもがそれぞれ持っている様々な種類の「表情」を知るところから始める必要があります。

 そのためには,教師の側からはたらきかけることもありますが,多くは活動中に見つけ出すことが重要です。

 どうしても,対教師の場合,子どもは表情を「つくる」傾向にあります。ですから,最も自然な環境の中で生まれる表情をどんどん吸収していくのです。

 こちら側の情報が増えていくと,「新しい表情」に自然と目がいくようになります。今まで見たことがない表情がそれですが,その「新しい表情」の中に,何かを隠そうとするときの表情というのが混じってきます。それが,非行発見のプロセスのうち,

 生徒の「表情」から語れる「初歩編」です。

 「入門編」は,「表情などの表面的な部分を隠すことになれている生徒」の場合で,それはまたの機会に。

 誰でもいいのなら、わざわざAKBは狙わないでしょう。非行予備軍の中学生のキナ臭さを嗅ぎ取るのとはかなり様子が異なるのじゃないかと思いますけどねえ。
 願わくば、その独特の「カン」とはどんなものなのかを分析して言語化してもらえればと思います。大変に困難な仕事ではあるでしょうけれど、あらゆる学問はそうやって発達してきたのですから。
 

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より