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教育実習に向けての不安を解消するために

 本ブログを訪問してくださった方々の検索キーワードを調べると,

 「知りたいことのそのものズバリ」の答えがないものもあります。

>不安 教育実習

 からお越しの方は,大学生かどうかはわかりませんが,

 5月ころの教育実習をひかえて,不安でいっぱいの方を想定した記事を書こうと思います。

 ここでは,最も不安要素が多くなりがちな中学校での教育実習を想定します。

 
 まず,あなたが教育実習生として自覚すべき最重要のポイントは,

 「私を育ててくれるのは,生徒たちである」ということです。

 これは教師になってからも,変わらない教育の大前提です。

 「教師は,生徒に育てられる」のです。

 指導にあたる教師に育てられるわけではありません。

 発問のタイミングがどうとか,板書がどうとか,声がどうとか,いろいろ言ってくると思いますが,

 はじめからできる人はともかく,教壇に初めて立って2週間や3週間で簡単に上達できるものではありません。

 指導の教師が教えてくれることは,自分が教師になってから上達できるようにがんばればよいのです。

 まだ教員免許すら持っていない実習生に求められるものは何かと言えば,

 「子どもから学ぶ姿勢」くらいしかないのです。

 
 指導案はもう完成しましたか?

 その指導案で授業をするとして,あなたは子どもから何を学び取れそうですか?

 もし,少しでも「これでは子どもから学ぶことができない」と思ったら,すぐに考え直して下さい。

 
 不幸にも子どもから学ぶことを知らない教師が指導に当たるような場合には,

 穴埋めプリントなどをやれと強要されるかもしれませんが,

 どっかから言葉を平行移動して写すような作業は「学習」ではありません。

 知恵を使って,それを宿題か何かでごまかせるように細工しましょう。


 「子どもからどんなことが学べるか」を自分の中の大きな目標にして,

 「子どもが~ができるようになる」「~が~であることを自分の言葉で表現できるようになる」

 ことを授業のねらいとして,それを実現させるプロセスをしっかり考える。

 指導案づくりの基本です。


 授業の評価は,「子どもが~ができるようになったか」

 「~が~であることを自分の言葉で表現できるようになったか」です。

 
 それが達成しなかったことを,単純に子どものせいにしてはいけません。

 自分が用意した学習のプロセスは,適切だったのか。
 
 資料は多すぎず,少なすぎず,難しすぎず,役立っていたか。


 当たり前の話ですが,大学生といっしょにやっている模擬授業では,

 生徒は大学生であり,中学生ではありません。

 
 中学生はどこでつまずき,どのくらいの時間で理解できるのか。

 やってみなければわからないでしょう。

 
 指導案ができたら,指導にあたる教師に,予想を述べてもらって下さい。

 その予想通りにならなくても,

 あなたが学べることはたくさんあるでしょう。

 今日はひとまずここまで。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より