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エベレスト登頂のための「犠牲者」たち

 ヒマラヤ登山の現地ガイドを示す「シェルパ」・・・・もともとは,ネパールの少数民族の名前である。

 エベレスト登頂のためのガイドの仕事は,世界で最も危険なものの一つだろう。

 肉体的・精神的な負担が大きく,依頼者からのときに無茶な要望にも応えなければならない。

 報道では,シェルパと登山家との間のいざこざが紹介されていたが,ある登山家は,

 20年来の不満が表面化したものではないか,という趣旨のコメントを発表していた。

 夢の実現にまっしぐらに進む「依頼者」とは違って,

 「仕事」としてエベレスト登頂をめざす人たちの気持ちは,

 どのようなものだと理解すればよいのか。

 ふと,教師の仕事と重なるあるイメージが浮かんだ。

 私たち教師は命の危険を冒してまでの仕事をしているわけではないが,

 「この程度の力量の自分たちに,ここまでの要求をされても実現は難しいだろう」という思いを抱いている。

 公務員だから「暴動」を起こすわけにもいかないが,

 私たち教師は,何をめざして今の仕事をしているのだろうか。

 ときにはとてもつらい思いをする。

 よかれと思ってしたことが,裏目にでることも多々ある。

 そこで,大切なのは,「目標」を設定することなのだということに思い至る。

 きっと,シェルパも「ただのガイド」という意識ではないはずだ。

 私たちは,何なのか。

 教育基本法が掲げている目標もある。

 その実現のために全力を尽くすことを公務員になるときに宣誓している。

 でも,それだけで満足してはいけない。

 もっと具現化可能な具体的な目標を設定し直さなければならない。

 これぞという目標を,同じ学校の教師全員が共有して,教育という仕事にあたるべきである。

 それでも子どもの入学式を優先する,という教師がいるのが日本の「公務員」という

 「理想の職業」の特色である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より