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大学は,新入生の親よりも,卒業生の親に「説明責任」を果たすべき

 教師の殺し文句には,

 「勉強って,自分でやるものです」

 「力がつかなかったのは,子どもの努力が足りなかったからです」

 「努力してもできなかったのは,もともと足りないものがあったからです」

 というものがある。

 「免責規定」みたいなもの。

 出席率などを示すことで,「真面目でない大学生活」は証明される。

 しかし・・・・。

 入学を希望する学生に,大学は何を示しているか。

 大学のPRは,いくらでもできる。

 「作文」の専門家がいるからである。

 文部科学省からやってきている人間がつくったものだというのがすぐにわかる「作文」や「デザイン」ばかりが最近は目立っている。

 学生や親を「煙に巻く」のが得意な人間が多いところである。

 しかし,そのPRの結果通りになる学生は多くはない。

 なぜ,そのような結果になったのかについての責任は問われない。

 責任が問われないものの説明をする義務はない。

 だから,夢を語っている一方で,全くそのような姿になれない卒業生が増え続けていく。

 どういう大学の話だろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より