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迷惑をかける範囲とその迷惑度が半端なく広く深く大きい「教員の犯罪」

 新年度が始まったばかりというのに,教員の逮捕者が続出しているようだ。

 被害者の方々には,本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 採用2日目で犯罪者になった教員の親は,どういう気持ちでいるのだろうか。

 親だけではない。

 その教員を育てた教師は。

 大学の教員は。

 地域の人たちは。

 親戚の方々は。

 保護者としては,再発防止を願いたいが,

 行政の立場にいた人間としては,

 本当に手の打ちようがない,という状況であることが想像される。

 まさか,採用されて2日目の教員が犯罪を犯すなど,だれが予想できることだろうか。

 研修会中に挙動不審だった教員を警察官に尾行してもらうなど,監視をつけるような仕組みが必要なのか。

 教員の立場としては,公立学校の教師たちが本当に肩身の狭い思いをしなければならないことが,

 子どもの教育にとって本当に逆効果になっていると感じる。

 「隠せばいい」と本気が考えている人間がいるかもしれないが,

 そういう発想は完全に捨て去った方がよい。

 自分のためでもある。

 「信用失墜行為」などのレベルでは済まない。

 「業務妨害」にもあたると私は考えている。

 公務員のこうした犯罪に対する罰則を強化する法改正に踏み込むことを提言したい。

 ためしに,すべての教育委員会が開く教師の犯罪に関する報告と謝罪の会見の模様は,すべて文部科学省のHPで映像を閲覧できるような仕組みをつくってみたらどうか。

 財務省も,いい加減,何か「よい防止策」を考えてくれるかもしれない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より