一人も見捨てないつもりの教師が全員を見捨てている教室
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コメント
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駄目上司によくある事ですが「俺が言わなければ●●になっていなかっただろう」という台詞。
学校でも俺が俺がという人は結構いるのですね。「徹底させよう」この時点でもうめちゃくちゃになっています。指導ではなく、それが支配に変わってしまう。思いやりを重視してほったらかしにされる子供が増えるというのは、その人が思いやりを勘違いしている事に原因があります。●●させるという思考自体がもうすでに思いやりとはほど遠い全く次元の異なる支配になっているのです。
「死角が多い」問いう見方もできるでしょう、もう少し掘り下げてこの人どうしてこうなってしまうのだろうかと考えてみたら、人から思いやりを受け取った事がない、だけど俺が俺がと介入する事が思いやりと勘違いしている。もちろんこういう人に指導力はありません。
投稿: 匿名 | 2014/04/27 15:08
この記事に関する私の懸念は,
「思いやり」「愛情」を重視しすぎて,それが特定の子どもに向かってしまう結果,
ほったらかしにされる子どもたちが増えてしまう,という問題です。
1人で40人に思いやりの感情をもつことは可能ですが,
「行動しなければ意味はない」という信念のもと,たいしたことはないことでも
すぐに介入してくる教師は,逆に「死角が多い」人間になってしまうのです。
荒れた学校には,こういう教師がたくさんいます。
荒れていなかったはずの学校がいつのまにか荒れていくのは,
実は「面倒見の悪い」教師よりも,こういうタイプの教師が原因であることも多いのです。
子どもの組織の意義をもっと重視すべきなのです。
それを,授業中にまで拡大し,徹底させようとすると,本当に「授業」は「死んでしまう」のです。
投稿: kurazoh | 2014/04/27 13:54
大人になっても、この人ほんとに今まで誰からも『思いやりや、友情や、愛情』を受けとったことがないのだねとため息をついてしまうようなそういう先生がいます。
不幸な事情があったことは察しがつきますが、せめて学校でその愛着障害ぶりを発揮しないでほしいものです。
投稿: 匿名 | 2014/04/27 10:01