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一人も見捨てないつもりの教師が全員を見捨てている教室

 教師が子どもを「見捨てる」とは,どのような態度をとることを指すのだろうか。

 私は,教師がいなくてもできることを子どもだけでやっているとき,そのように感じる。

 あるいは,だれか「見捨ててはいけない」子どもに教師がつきっきりになっているとき,

 ほかの「見捨ててはいけない」子どもが見捨てられているように見える。

 「見捨てないすすめ」とは,「見捨てるすすめ」に他ならない。

 
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コメント

駄目上司によくある事ですが「俺が言わなければ●●になっていなかっただろう」という台詞。
学校でも俺が俺がという人は結構いるのですね。「徹底させよう」この時点でもうめちゃくちゃになっています。指導ではなく、それが支配に変わってしまう。思いやりを重視してほったらかしにされる子供が増えるというのは、その人が思いやりを勘違いしている事に原因があります。●●させるという思考自体がもうすでに思いやりとはほど遠い全く次元の異なる支配になっているのです。
「死角が多い」問いう見方もできるでしょう、もう少し掘り下げてこの人どうしてこうなってしまうのだろうかと考えてみたら、人から思いやりを受け取った事がない、だけど俺が俺がと介入する事が思いやりと勘違いしている。もちろんこういう人に指導力はありません。

この記事に関する私の懸念は,

「思いやり」「愛情」を重視しすぎて,それが特定の子どもに向かってしまう結果,

ほったらかしにされる子どもたちが増えてしまう,という問題です。

1人で40人に思いやりの感情をもつことは可能ですが,

「行動しなければ意味はない」という信念のもと,たいしたことはないことでも

すぐに介入してくる教師は,逆に「死角が多い」人間になってしまうのです。

荒れた学校には,こういう教師がたくさんいます。

荒れていなかったはずの学校がいつのまにか荒れていくのは,

実は「面倒見の悪い」教師よりも,こういうタイプの教師が原因であることも多いのです。

子どもの組織の意義をもっと重視すべきなのです。

それを,授業中にまで拡大し,徹底させようとすると,本当に「授業」は「死んでしまう」のです。

大人になっても、この人ほんとに今まで誰からも『思いやりや、友情や、愛情』を受けとったことがないのだねとため息をついてしまうようなそういう先生がいます。

不幸な事情があったことは察しがつきますが、せめて学校でその愛着障害ぶりを発揮しないでほしいものです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より