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イチローの出場試合最多記録の価値と学校教育

 イチローが試合への出場数に価値を見いだすのは,もっと時間がたってからかもしれない。

 日米通算という数え方に対する疑問もあろうが,

 守備固めとか代走でしか使われないようになって,出場数が増えても,意味はないというのが今の気持ちだろうと思う。

 個人や組織にだれかが評価を下そうとするとき,

 一番わかりやすいのが「数字」で示されていることである。

 1つのアウトをどのようにとったか,

 1点をどうやって奪ったか,などということは,

 その瞬間はとても重要な意味のあるものだが,1日たつと忘れてしまう。

 高校や大学も予備校も,進学実績(多くは東大合格者数)を数字で示し,

 その「数字」につられて人が集まっていく。

 たとえば斎藤佑樹投手は,「勝ち星」をつくらなければ,いくら内容がよくても再び一軍のマウンドに立つことはできないかもしれない。

 そういう意味で「数字」が持っている力は果てしなく大きい。

 企業の業績についても,言うまでもない。


 人は,他人から認められたい,讃えられたいという欲求をもっている。

 組織は,それで支えられている面もある。

 ここで考えなければならないのは,

 学校という組織のあり方である。

 出場記録が最多の選手は尊敬される。

 これと同じような面は学校にはないのか。

 「出場数」という勝ち負けには関係のない数字の評価もプロスポーツの世界にはあるかもしれないが,

 基本的には勝ったか負けたかで評価が全く違ってくる。

 中学校には,部活動という場で他校と競う顔があり,指導者としての教師がいる。

 が,すべての部活動が強いという学校はまれであろう。

 学校(特に公立学校)を左右しているのは,教師一人一人に対する信頼度の問題である。

 「あたり」とか「はずれ」とか呼ばれる宿命のある小学校の世界では,

 優秀な教師がいれば普通の教師が「はずれ」になるという厳しさもある。

 多くの教師は,子どもの目,ほかの教師の目に敏感である。

 過剰な意識の裏返しの行動として,異常な謙遜を見せる教師もいるが,
 
 子どもと四六時中いっしょにいる環境では,「能ある鷹は爪を隠す」というわけにもいかない。

 ただ,これみよがしに自分の実践を本にして出版する暇のある現役教師などごくまれである。

 ほとんどの教師は,否定されることのない程度の「信頼性」は確保しようとして真面目に仕事をしている。

 ただ,「仕事のしやすさ」には学校によって違いがある。

 教師に「異動」によっていくつかの学校を経験する。

 そこで味わう「安堵感」「緊張感」「嫌悪感」はさまざま。

 異動したての教師が不安になる要素もさまざま。

 他人に無関心そうな教師が多ければ不安になり,

 教師たちがみんな仲よさそうにしていても,自分は仲間に加われるのかと不安になる。

 こういうとき,教師に向いている教師が教師をしているのか,

 自分が教師に向いているのかが,よくわかる。

 自分たちが経験しているのは,子どもが経験していることと同じである。

 子どもに,どういう指導をしているのか。

 教師が一番仕事がやりにくい学校とは,

 教師に向いている教師が少ない学校である。

 今,そういう学校の方が,数字で実績を残したり

 企業のような「宣伝」で衆目を集めたりすることに成功している。

 イチローのような生き方とは全く逆の人間の方が,組織では役に立つのだろう。


 イチローにも,やがてユニフォームを脱ぐ日がやってくる。

 その日はきっと,突然やって来ると思われる。

 最多出場記録というのは,本人が価値を見いだせなくても「残ってしまう」数字である。

 この記録のように,「やめてからじわじわその価値の大きさに気づいていける」ようなことを

 子どもに教えているのが教育の本当の価値だと信じていたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より