残念ながらそれは,「何も語っていない」ことと等しい
私が指導主事になりたてのころ,指導主事経験をもつ校長を講師とした
「指導講評の研修会」に参加したことがある。
社会科の授業の指導講評だから,どう考えても私がいるグループが有利である。
教科の専門性のない指導主事にとっては地獄の時間であったろう。
それは,講師のコメントがとにかくキツイからである。
教科に関する内容についての厳しさではなく,
そもそも「講評とは何のためにあるのか」,
「人に言葉を伝えるとはどういうことか」のような前提のところから突っ込まれる。
このとき,私が得した気分になったのは,社会科の授業の講評だった,ということではなくて,
今までに参加したことがある公開授業や研修会で,
講師の言葉をすべてメモしておき,そのコツをある程度つかんでいたことであった。
完璧な講評をしたと安堵していたら,思わぬコメントが帰ってきた。
「この指導内容は今日の授業者にはレベルが高い」というもの。
そう,指導講評とは,自分の力量をPRする場ではない。
指導講評を受ける立場の人たちにとって,プラスになるようなことを述べる・・・・だけでなく,
実際にプラスになるようにすることが任務なのである。
きれいな言葉をいくら並べてみても,
「それは何も言ってないのと同じだ」
と思われては仕方がないのだ。
中身がない。
まさかとは思うが,そんなことを書いて自己満足しているとしたら,あまりに教員をバカにしている。
初任者でもそんなことはわかっている・・・・しかし,できていない状況を,どうしたらできるようになるかを
教えるのがプロである。
正確には,教えるのではなく,「気づかせる」ようにするのがプロの仕事である。
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