ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「時間を守る」ことの意義は,効率の問題ではない | トップページ | 迷惑をかける範囲とその迷惑度が半端なく広く深く大きい「教員の犯罪」 »

残念ながらそれは,「何も語っていない」ことと等しい

 私が指導主事になりたてのころ,指導主事経験をもつ校長を講師とした

 「指導講評の研修会」に参加したことがある。

 社会科の授業の指導講評だから,どう考えても私がいるグループが有利である。

 教科の専門性のない指導主事にとっては地獄の時間であったろう。

 それは,講師のコメントがとにかくキツイからである。

 教科に関する内容についての厳しさではなく,

 そもそも「講評とは何のためにあるのか」,

 「人に言葉を伝えるとはどういうことか」のような前提のところから突っ込まれる。

 このとき,私が得した気分になったのは,社会科の授業の講評だった,ということではなくて,

 今までに参加したことがある公開授業や研修会で,

 講師の言葉をすべてメモしておき,そのコツをある程度つかんでいたことであった。

 完璧な講評をしたと安堵していたら,思わぬコメントが帰ってきた。
 
 「この指導内容は今日の授業者にはレベルが高い」というもの。

 そう,指導講評とは,自分の力量をPRする場ではない。

 指導講評を受ける立場の人たちにとって,プラスになるようなことを述べる・・・・だけでなく,

 実際にプラスになるようにすることが任務なのである。

 きれいな言葉をいくら並べてみても,

 「それは何も言ってないのと同じだ」

 と思われては仕方がないのだ。

 中身がない。

 まさかとは思うが,そんなことを書いて自己満足しているとしたら,あまりに教員をバカにしている。

 初任者でもそんなことはわかっている・・・・しかし,できていない状況を,どうしたらできるようになるかを

 教えるのがプロである。

 正確には,教えるのではなく,「気づかせる」ようにするのがプロの仕事である。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

« 「時間を守る」ことの意義は,効率の問題ではない | トップページ | 迷惑をかける範囲とその迷惑度が半端なく広く深く大きい「教員の犯罪」 »

教育」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 残念ながらそれは,「何も語っていない」ことと等しい:

« 「時間を守る」ことの意義は,効率の問題ではない | トップページ | 迷惑をかける範囲とその迷惑度が半端なく広く深く大きい「教員の犯罪」 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より