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「嫌いな人」「嫌いな子ども」をつくらない方法

 小学校時代の話で中学生からよく耳にするのは,

 「担任のお気に入り」「担任からの嫌われ者」の話である。

 ある小学校では,男性教諭が,(何年生の話かは,あえてここではふせておき,ご想像にお任せしたいと思う)

 休み時間に,「お気に入り」の女子を膝の上に乗せて歓談していることがあったという。

 この話は「焼き餅」の感情で語っている面もあるようだが,

 われわれ中学校の教師から見れば・・・いや,世の中のあらゆる父親(母親も?)の目から見ても,

 「あり得ない」話である。

 一方,「嫌いな子ども」の存在も,教室内ではっきり認識されるようで,

 「よく怒られる」「怒られ方がほかと違う」「いいことをしたときは無視される」などの

 「仕打ち」の状況が語られる。

 ここまで露骨な犯罪的行為,人権侵害行為が起こるのはごく一部の学校だろうが,

 同じ人間であることから,

 どこで起こってもおかしくないということも実感できることだろう。

 教師の立場なら,

 「子どもを嫌いになりたくない」が,「嫌いになってしまう自分がいる」ことに悩んでいる人もいるだろう。

 教師に向いていない人のパターンを明確に指摘すると,

 「できなければいけないことができない子ども」が嫌いになるような人間。

 こういう人間は,教師になってはならない。

 「私の言ったことを,言われた通りにしない子ども」が嫌いになるような人間。

 こういう人間は,親にもなるべきではない。

 思い通りにならないことが世の中にどれだけあるか,

 ほとんど経験しないで教師になる人間がたくさんいる。

 残念ながら,同じように,親になる人間もたくさんいる。

 教師の仕事とは,何なのか。

 親の役割とは何なのか。

 それが自覚できるだけで,「嫌いな人」や「嫌いな子ども」は激減する。

 教師として残念なことは,それが自覚できないわがまま人間が同じ教師として目の前にいる現実である。

 こういうのは,素直に「嫌い」になるべきである。

 ただし,我慢してつきあわなければならない。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より