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自分の子どもと「教え子」のどちらを大切にすべきか?

 自分の子どもの入学式に出るために,担任をもつことになる自分の学校の入学式を欠席した教師と,休暇を認めた校長の倫理観が問題になっている。

 YAHOO!ニュースには多数のコメントが寄せられており,関心の高さ,意見の言いやすさが伺われる。

 どちらと言えば,「休むのは許されるだろう」という意見の方が多いようだ。

 「3年後の卒業式も休むのか?」という厳しい追及?の声も聞かれるが・・・。

 まあ,「病気・通院による休暇」と偽って入学式に出ているわけではないので,

 あとは「公務員とは何か?」「教師とは,どのような仕事か?」という職業倫理にかかわる問題というわけだろう。


 血のつながりのない「教え子」たちが集う「学校」という組織よりも,「家族」を優先すべきである,

 ということを入学式で「教える」ことにした県立高校。

 とても勇気のいる「教育」だ。

 他人よりも肉親を大事にしよう。

 入学式でこういうメッセージを送るインパクトは大きい。

小学校や中学校なら,もっと大騒ぎになっていたと思うが,高校なら,担任などだれでもかまわないだろうというのが私の考えである。むしろ,入学式に出てきた方が保護者に不安を持たれる教師がいるかもしれない。

 世間の常識が通用しないのが公立学校というところである。

 大阪市には,人事を教員の選挙で決める中学校があるくらいなのだから。

 まさに「ソビエト」である。

 公立高校で,校長によるまともなコントロールがきくのは東京都くらいではないだろうか。

 一生懸命コントロールしている東京都ですら,様々な問題が起こっている。

 岡山県からは「532人処分」というニュースも届いている。

埼玉県の県立高校では,むしろ,担任以外で頼れる先生がいる,ということに気づける方が,価値のあることだったのかもしれない。

 高校生に一言。

 担任が入学式にいないくらいで慌てる必要はない。

 儀式的行事に重きを置かない高校なのだから,気楽でいいだろう。

 堅苦しく生きる必要はない。

 「自分の都合を優先する」というレベルのものも含めて,「自由」を謳歌してほしい。 

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より