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具体的なものばかりを求める質の低い教育論

 孫子の兵法書は,抽象的な書かれ方をしている。

 だから,戦場での経験が不足している者には,使いこなせない。

 これと正反対なのが「教育書」の類であろう。

 そのまま小学生に読ませてあげればいいような「板書の仕方」などが具体的に示されている本が売れている。

 教育は,「戦い」と同じで,生きものである。

 戦いでは,敵軍の将が賢かろうと愚かであろうと,

 こちらの想定通りに動いたり止まったりしてくれるとは限らない。

 天候の変化が,移動の速度を遅めたりすることもある。

 細かく具体的に書けば書くほど,自在性を失い,それが味方の全滅に結びつきかねないのが「兵法」である。

 「教育法」の授業が抽象的すぎると,学生は何を言っているのかわからない。

 だから,こういうときはこうしろ,ああいうときはこうしろと教えるのだろうが,

 教わっていない事態に遭遇すると,何もできなくなる。

 教育実習では,こういう場面がよくあるが,そこでどのくらい「学ぶ」ことができるかが,

 教師になるべき人間か,なるべきではない人間かの境目であろう。

 戦場に出ればすぐ死んでしまうのがわかっている人間に武器を持たせるべきではない。

 臨機応変。

 そのために必要な教師の力量とは何か。教養とは何か。

 大学のカリキュラムに何が欠けているか。

 大学の試験に何が欠けているか。

 広島大学医学部を卒業した学生に貼られることになるレッテルが気の毒である。


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コメント

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だから,こういうときはこうしろ,ああいうときはこうしろと教えるのだろうが,
教わっていない事態に遭遇すると,何もできなくなる。
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自立できていない、そもそも台本どおりでないと演技できない、教育は演技
の場にもなっているということでしょう

そもそも基礎ができていないから抽象論にはついてゆけないという事ではないでしょうか
理論がわからないまま抽象論がとかいっても無理、所定の単位の数が少ないのが原因でしょうか
実習が少ないのは明らかです。毎週5〜10時間ぐらい教育実習してレポート書かせたら違うのではないかと思います。それでも未熟と言われることは十分あります。

STAP細胞で有名になった小保方さんですが、毎週10時間どころではない実験(実習)をしたはず、でも未熟と言われました。これが教員だったら絶対誰も文句言いません、ハーバード大出身なら誰も文句つけません。現実は教員の指導力を検証する能力すらないのが教頭、副校長や校長。それゆえ指導力不足教員が野放しになっているのでしょう。

圧倒的に養成過程で修得すべき内容が少なく、教養とも言えないレベルで卒業し、新任で一人前扱いされ、足らないところを指導される事は無く、基本はほったらかし、それは授業をみれば見る程よくわかります。完全に2分極化しています。きれいにまっぷたつならまだいいのですが、指導力不足の数が非常に多い、はずれを引く確率が高いのです。

だから塾に行かなければまともな学力がつかないのです。
塾が儲かるのは、公立学校の指導力不足が原因です。現役の教員の中には「この子が勉強できないのは塾に行かせないからだ」と言い切る人もいるとの事、これが公立学校の実態です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より