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原爆を「投下した理由」ではなく,「投下できた理由」がわかる本

 戦争ができる国にする方法は,自国民に,戦争をする相手の国の人間に対する憎悪をかきたてることにある。

 逆に考えると,戦争をしかけられないようにするためには,危ない国の人間たちに,「憎まれるより愛されること」をし続けることが大切だということがわかる。

 オリバー・ストーンは著書「語られてこなかったアメリカ史」で,国家のあり方に対する警鐘を鳴らしてくれている。

 やや長くなるが,翻訳書『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1 2つの世界大戦と原爆投下』(早川書房)の一部を紹介する。

 「原爆投下は必要なかった」と堂々と語れるアメリカ人は少数派だろう。

 歴史の授業ではそんなことは習っていないし,もし授業でそういうことを主張したら,総攻撃にあってしまうだろうから。

 「なぜ原爆を投下したか」ということについては,「戦後体制の主導権を握るため」など,多くの分析がなされているが,ここでは記さない。

 日本人がわかりにくいのは,「なぜ原爆が投下できたか」=「なぜ恐ろしい兵器による無差別大量殺人が可能だったのか」という点であるが,次の内容を知ると,納得できてしまう。

**********************

 アメリカ人は日本人に対して深い憎しみを抱いていたのである。・・・・(中略)・・・・戦時中にアメリカが使ったプロパガンダは邪悪なナチス指導者と「善良なドイツ人」を慎重に区別していたが,こうした区別は日本人には用いられなかった。《ニューズウィーク》誌が一九四五年一月に論じたように,「今回の戦争ほどわが国の兵士が敵を憎み,殺したいと考えた戦争はいまだかつてなかった」のである。
 歴史学者のジョン・ダワーによれば,アメリカ人は日本人を害虫,ゴキブリ,ガラガラヘビ,ネズミと見なした。サルの比喩も多用された。・・・(中略)・・・《タイム》誌は「日本の一般市民は思慮分別に欠け無知である。ひょっとすると人間かもしれないが,それを示す証拠は・・・皆無である」とコメントしている。ワシントンのイギリス大使館は,アメリカ人は日本人を「名もなき害虫の群れ」と考えていると本国に書き送り,大使はアメリカ人が普遍的にもつ「『皆殺しをも辞さぬ』反日感情」を伝えた。一九四五年二月,ヨーロッパから太平洋方面に転属になった有名な従軍記者アーニー・パイルは述べた。「ヨーロッパでは,われわれの敵はどれほど残忍で凶暴であろうとも,まだ人間だった。しかし,ここでは日本人は人間以下と見なされ,ゴキブリやネズミのように嫌悪されていることに私はほどなく気づいた。」(316~318ページ)

**********************

 黒人を奴隷として酷使したような,「人種差別」というレベルを通り越していたことは明白だろう。

 日本人は人間ではなく「害虫」なのだから,原爆を投下することによる「良心の呵責」など生まれなかったのではないか,とさえ思えてくる。

 『「感情」の地政学』(早川書房)で,ドミニク・モイジはこう語っている。

 西洋社会にとっての「恐れ」の根源は,未来に対する支配の喪失にある。もはや自分たちがグローバリゼーションを支配できなくなったという現実を受け入れざるを得ない試練にさらされている。

 日本は,まだ西洋社会の基準に沿って,というか後追いをして,グローバル化を進めようとしているが,「その先」を見通す必要があるだろう。

 「民主主義」「国民主権」という原理が,何を生んでいくか,想像をたくましくしておかなければならない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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