ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 自分の子どもと「教え子」のどちらを大切にすべきか? | トップページ | 賞をとった人と,逃した人の違い »

30年前の亡霊が漂い続ける大阪

 校内人事を選挙で決めるという「ご当地ルール」を30年以上にわかって守り続けていた中学校があったらしい。

 こういう時計が止まったような事態が,学校という現場では平気で受け継がれている。

 明るみになるまで30年もかかったのだが,改革は1か月でできるはずだ。

 今は,隠し続けた退職校長たちへの聞き取り調査が実施されているだろう。

 4月の教育委員会は暇な時期である。2週間もかからずに実態が把握できるだろう。

 学校を改革するのに一番手っ取り早いのは,

 力のある校長と教務主任を他校から異動させることにある。

 これができないのが大阪の一部の地域の中学校だった。

 私がここが最も大きい問題だと考えている。

 30年前と言えば,校内暴力で大変だった頃である。

 それよりも,管理職と教員の対立が激しかった頃と言った方がよいかもしれない。

 だから荒れていたのだと私などは思っている。

 非行に走る中学生の中には,両親が不仲であることがすぐわかる子がいる。

 大人の組織が割れている場所で子どもがまともに育つはずがない。

 片方の親が,もう一方に子育てを丸投げしているような家庭も同様である。 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ

 

« 自分の子どもと「教え子」のどちらを大切にすべきか? | トップページ | 賞をとった人と,逃した人の違い »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 30年前の亡霊が漂い続ける大阪:

« 自分の子どもと「教え子」のどちらを大切にすべきか? | トップページ | 賞をとった人と,逃した人の違い »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より