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親が日本中から叩かれる子どもをどう救うか

 政治家の子どもでもなければ,まさか自分の親が日本中から叩かれる日が来るとは思わない。

 それも,親が自分のことを思っての行動をとったことが理由となって。

 擁護の声が上がるのは当然のことだが,叩く人間がいるのは同じ教師でなくてもわかる。

 尾木ママは「校長が悪い」というコメントをしたようだが,

 私もその通りだと考えている。

 決して,親が「悪いこと」をしたと考える必要はない。

 子のためを思う親の心をしっかりと受け止めて,それは引き継いでほしい。

 ただ,日本という国の残念なところは,

 公務員が「理想の生き方」をしているように思われる一方で,

 一般企業の人たちが「理想の生き方」をしにくい状況にあるということである。

 叩いている人間たちの中に,

 「うらやましい」という怨嗟の声を聞く必要もある。

 日本のなかでも「幸せな子ども」であることが公の事実となってしまったことが,

 残念ながら他人から見ると不幸の始まりだった。

 幸・不幸は基準の取り方で変わる。

 人は他人に迷惑をかけたり,

 障害をもつ人を差別したりすることをしなければ,

 自分に都合のいい基準で生きる権利がある。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より