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「はずれ」の担任への信頼を回復させる方法

 私のブログでは,4月上旬という時期に,「小学校の担任のはずれへの対応」に関する記事へのアクセスが増える。

 今日は,「はずれた!」とがっかりしている保護者の方に,

 子どもを任せる上での教師への信頼を回復させる方法を紹介したいと思う。

 家庭訪問や,個別の面談が4月の終わりから5月の中旬にかけて行われる小学校が多いはずである。

 ここで,担任に質問してみるとよい。

 「前の担任の先生から,うちの子どものどのようなことが課題で,どのような長所があるとお聞きになっていますか? 先生から見たうちの子どもの印象は?」

 小学校の教師の「子どもを見る力」だけでなく,

 小学校という組織がまともかどうかを確かめる質問になっている。

 保護者のクレームが激しい小学校では,担任が頻繁に替わる。

 このとき課題なのは,「引き継ぎ」がきちんと行われているか,どうかである。

 絶対に引き継がれているのは,

 「問題の多い子ども」と「問題の多い親」の情報。

 そもそもクラス替えのときに,これらがあるクラスに集中しないように,考えて分けてあるのだ。

 問題は,「よい子の場合,何がどのようによいのか」を引き継がない可能性があるということである。

 「普通の子」とか「問題ない子」という表現で我が子が見られているとしたら,

 親としては非常にがっかりする。

 たいていの場合は引き継がれているはずだから,前の担任を再評価することに結びつくし,案外きちんと見てくれているのだな,と安心するきっかえになると思われる。

 さて,それがままならない場合はどうするか。

 そういうときは,担任の得意分野を知ることである。

 「先生は,どの教科を教えるのが一番好きですか?(得意ですか?と聞くのは,少しハードルが高いかもしれない)」

 苦手な教科の話は聞かなくてよい。

 まずは,教えるのが好きだったり,得意だったりする教科の授業に期待をもてばよいのだ。

 さて,そこでも不安が残るような結果になったら,どうするか?

 「先生がもし困ったことがあったら,どの先生に相談できますか?」

 さて,そこでも不安が残るような結果になったら,どうするか?

 「これから親として困ったことがあったら,どなたにどのように連絡をとらせていただければいいでしょうか?」

 さて,そこでも不安が残るような結果になったら,どうするか?

 「塾は,いつから,どういうところに行けばよいのでしょうか?」

 優秀な子どもが通っている塾の情報だけは,非常に詳しいかもしれない。太鼓判まで押してくれるかもしれない。

 「そこで勉強してくれれば,心配いりませんよ!」


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より