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情報の価値は受け手の「思考力」次第で決まる

 どんな情報にも,受け手次第で価値が決まる。

 「そんな考え方をしているから,だめなんだ」と批判するような内容なら,

 「批判されるという価値」があるから,役に立つ。

 私は新聞のスクラップを中学生時代から始めて,もう30年以上がたつが,

 新聞には,「健康」をテーマにした内容など,「使い回し」がめだつ記事がある。

 こういう記事の場合,私には新たに読む「価値」を感じないが,

 新聞社の側からすれば,

 その都度,新しい読者が目にすれば,「価値」を感じてくれるから,繰り返し使えるものなのだ。

 学校の教師も,こういう「使い回し」の情報を発信することが多いだろう。

 4月から教師になった人も,来年は,今年と同じ内容を教えることになる。

 学習指導要領が改訂され,教科書の内容が変わらない限り,教える内容は同じはずだ。

 それがずっーと,繰り返されてきたのが「教育」という世界の常識である。

 しかし,中には「そうではない」という自覚をもっている人がいる。

 こういう教師によって,今の教育界というのは支えられているのだが,
 
 やがていなくなるのではないか,という危機感をもっているところが多いだろう。

 学校の場合,「受け手」の「思考力」はそれほど高くはない。

 だからこそ,「発信側」の工夫が必要なのである。


 さて,情報の価値は,受け手の「思考力」次第で決まる・・・

 というのは, 東洋経済オンラインで読んだ「ニッポンの大学の”ジレンマ”とは?」

 から感じたことである。


 ここでは,大学院での面白い授業が紹介されていた。

 先生が書いた論文や本を「叩き台」にして,

 要約してはいけない

 褒めてはいけない

 賛成してはいけない

 という規則のもと,理論的批判からあら探しまで,何でもあり
 
 というムードのなかで,学生が先生を攻撃するという授業。

 今の日本で,

 こういう授業ができる大学の先生,

 こういう授業で「攻撃できる」大学の学生は,どのくらいいるだろうか。

 あら探しのような情報のとらえ方をしている学生からも,

 何かを学ぼうとする姿勢をもつ教師が,どのくらいいるだろうか。

 自分の心がいかに狭く,人間の器がどれだけ小さいかを喜んで宣伝して,

 かつ得意げになっている哀れな教育ブロガーがいるが,

 まさに雲泥の差である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より