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« 「知的遊戯」に染まった自覚がある方は,新年度は生まれ変わって・・・ | トップページ | 流行語になったら困る?「悪意のない間違い」 »

どんな嘘でも許される日か?

 いよいよ新年度が始まりました。

 イメージ戦略がそこそこ功を奏していたためか,すでに情報統制が始まっているからか,わからないが,

 大きな混乱もなく,消費税8%時代も幕を開けたようである。

 駆け込み需要で潤ったところが,冷や冷やしながら売上のデータを眺めているところだろう。

 ここのところTVを全く見ていないので,4月1日の今日,どんな「お遊び」が展開されたのか,何の情報も持っていない。

 しかし,「嘘の情報」は,いたるところで流されている。

 人はなぜ嘘をつかないといけないのか,それを想像してあげることが,よりよい人間関係を築くために欠かせないことだというのは,頭ではわかる。
 
 ただ,感情的には全く許せない。

 自分が嘘をついている自覚すら失っている人に目くじらを立てるのはどうかとも思うが,

 そういう人たちに優しい社会が本当によい未来をつくっていくとは言い切れない。

 何しろ自分が「こういう人間はダメだ」と言っている通りのことを自分がやっていることに気付かないようになっては,もう手の施しようがない。

 自分を弁護することに必死になっている哀れな人たちが,日本を代表する研究所にもいるようだ。

 すぐにでも記者会見を開くべきである。

 しかし,おそらく組織に止められているのだろう。

 ある会見をのぞいてみた強烈な第一印象は,「組織として隠ぺいしようとしている」というものだった。

 やはり,税金のおかげで動く組織というのは,みんなこうなってしまうのだろうか。

 税金の打ち切りが怖いのか。

 あの研究所は,税金はどのように使われているかを完全に透明にすべきだろう。

 給料に見合った仕事をしているのか,調べてほしい。

 たった1つの論文のチェックすらまともにできない組織など,民間では考えられないはずである。 

 利益を上げるための組織ではない,

 利益は全く上がらないかもしれないが,社会が必要だと認めた組織であるから,税金は投入される・・・ということを子どもたちは学校で習う。

 しかし,そういう机上の話に私を含めて子どもたちは次々に裏切られていく。

 公立学校の教育がその筆頭であることは言うまでもない。

 これでは,明るい未来を担う子どもたちを育てていこう!なんて楽天的に構えていることは到底できない。

 「誤りは正す」

 こういう強い動機を持たせることが,社会をよりよくするためには欠かせないと考えられる。

 自分の誤りを認めようとしない人間,認めない組織に甘いマスコミがもどかしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より