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学校教育とLINE地獄

 利便性が高い世の中では,「問題行動」「犯罪行為」に対するハードルも低くなる。

 ちょっとしたうっかりが,取り返しのつかない状態を生んだ例が群馬県から,

 モラル欠如がそのまま形に残った例が愛知県から報告されている。

 いずれも,教師の「公務員(大人)としてやってはいけないこと」がもとになっている。

 LINE自体に罪はない。

 問題を起こした人間の罪である。

 しかし,問題を起こしたり,罪を犯したりする人間への「転落のしやすさ」を助長しているのが

 LINEのような道具である。

 LINEで個人情報を垂れ流した子どもは,ある意味で「英雄」になってしまう。

 こんな例も含めて,

 小中学校では,「LINE地獄」の様相が日に日に明るみになっていくことだろう。

 問題への対応は,「寝た子を起こす」結果になり,さらに

 問題は広がっていく。

 子どもたちは,「ごまかし方」も学んでいく。

 親にコントロールすることを期待するのはまず不可能だろう。

 学校の教師にも難しいことは言うまでもないが,
 
 望ましくない「罰則規定」の誕生が予想される。

 利便性が拡大していく「天国」と,その結果として生じる問題群・・・「地獄」は背中あわせの関係にある。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より