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「コピペ文化」はどこまで浸透しているか?

 先日,初任者のときの指導教員が,「二度目の退職」を迎えるということで,勤務先の中学校に出向き,久しぶりにお話をさせていただいた。

 定年退職後も講師として長年勤めていた中学校で働き,訪問時は何と部活動の指導中だった。

 その先生とのお話の中で,最近の「学び合い」風の学習方法への違和感が話題になった。

 若い社会科の教師は,プリントを渡して,その穴埋めを教科書等を使いながらグループでやらせる。

 それが終わると,解説を行って,終わり,だそうだ。

 これが社会科で問題になっている「コピペ」習得学習である。

 (   )の中にあてはまる言葉を,どこかから探して入れるだけ。

 それで理解は深まらないことは,だれでもわかる。

 しかし,(   )に言葉を埋められると,中学生はうれしがるのだ。

 それなりの「達成感」が得られるらしい。

 だれがこんな教育観,指導観を広めているのか? 

 「センター試験対策」という看板を背負った人たちか?

 中学校の学習指導要領には,もっと「まともな授業をしろ」と書いてある。

 こういう授業をしていたら,いつまでたっても,

 「思考力・判断力・表現力」は身にならない。

 それどころか,「基礎的・基本的な知識・技能の習得」すらおぼつかない。
 
 どこかから文字や文章をコピーしてきて切り貼りすれば,評価に値する作品が完成する,と思わせてきたのはだれか?

 すべての教師が,過去に出題した定期考査問題を見返してみて,この問題に正面から向き合うべきである。

 ・・・・・・・・・・DNAの画像を切り貼りした小保方さんは,「やってはいけないという認識がなかった」と話したと報告されている。・・・・・・・・・


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より