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障害のある生徒の指導をどうしたらよいか?

 ネット上でも読むことができますが,定価137円なので,お買い求めになってもいいでしょう。

 学習指導要領・総則編の解説に,表題に関する基本的かつ具体的な方針が示されています。

 教育公務員は,採用試験に合格してしまうと,パタリと行政関係文書や法令等に目を向けなくなりますが,少なくとも,学習指導要領が「改訂」(「改定」ではない)されたときくらいは,解説くらいは読んでおいた方がよいでしょう。

 それは,教育課程届を教育委員会に提出するときに,「なぜこういう方針にしたか」「具体的にはどうするのか」という質問に答えられるようにするためです。

 小中学校には,特別支援学級や通級による指導を受ける障害のある児童生徒とともに,通常の学級にも

 LD(学習障害)

 ADHD(注意欠陥多動性障害)
 
 自閉症

 などの障害のある生徒が在籍していることがあります。

 これらの児童生徒への適切な指導を行うために,どうしたらよいか。

 箇条書きにしてまとめてみて,自分の学校では何ができていて,何ができていないか,検討してみましょう。

 もう学校評価をする時期ではありませんが,

 教育委員会に受理された(はずの)教育課程をどうやって具体的に実現させていくか,

 検討が進められている時期でしょう。

 障害のある児童生徒は,自分を理解してくれている教師やクラスメイトを「感じる」ことができます。

 そういう意味では,教師の力量を示す「鏡」の役割も果たしてくれると言えるのです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より