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3つ以上のブログをかけもちする人

 このブログの世界では,とても充実した「生活」を送っている方がいらっしゃいますね。

 たとえ自己満足でも,それが実生活によい影響を与え,悪影響を及ぼさない範囲内であれば,まさに「個人の自由」として尊重されるべきものです。

 私は,このブログ,読書編,そして社会科教育の実践編という3つのブログを書いていますが,最初の2つは日記のようなもので,最後のものは一般の中学校の先生にも紹介して,活用してもらえるようにお願いしているものです。

 土日で忙しくても,ある仕事から別の仕事にうつるときに,気分転換の意味も込めて書いたりしているわけです。

 夜中の更新もときどきありますが,できれば夕食後の,あまり頭がはたらきにくい時間帯に書くのがいいかと個人的には思っています。

 ブログのかけもちといえば,中にはおもしろい人もいて,それぞれ別の人間が書いている設定で運営しているのですが,書き手は一人だから,どうしても内容は似通ったものになってしまいます。

 しかも,ほかの人にはない特徴を持っている人は,その点がどうしても際立ってしまうのです。

 同じ誤記の仕方をするとか,同じ誤解に基づいた記述があるとかは,大した問題ではありません。

 盗作も問題でしょうが,なりすましっていうのは,別の意味で気になりますね。

 コピペ学者も,なりすましも,当然のことながら?,

 「私はコピペ学者です」とか,

 「私はなりすましです」などは言いませんね。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より