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嘘つきは,自分以外の嘘つきが大嫌い

 小中学生のなかには,平気で教師の質問に対してウソをつく子どもがいますね。

 これは,自分を守るため,条件反射的にできるように,生まれつきできるようにプログラムされている能力のように思われますが(ウソのつきかたを親が教えることはない),すぐにばれるウソをつき続けるかどうかは,親や教師の教育次第です。

 なかには,とにかくばれない限りウソをつき続けるという強者もいて,バレたときには強く責められるのですが,その鬱憤を晴らすように,他人がウソをついたとき,ウソをついたと思ってしまったときには怒りまくる,という「子ども」がいます。

 この非対称性を「不平等」と呼んでも理解できない人たちに,「民主主義」を語る資格はあるのでしょうか?

 報道を見ていると,そういう人たちばかり扱われるのでおもしろいですね。

 ただ,本当に自分を客観視できない人はいるようで,「こういうことをいう人間はおかしい」と言っている自分自身がそういう人間だということに気づけない人は,周囲との摩擦が絶えないことになるわけで,気の毒ですがなおす方法はありません。

 子どもたちには,「そういう人は,そういう人なのだ」という理解をさせるようにしています。

 なお,この記事の内容は,どこかのブログとは何の関係もありません。


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コメント

大学時代の「副業」っていう言い方もおもしろいと思いますけど,20~30万の収入ってすごいですね。

私は塾の講師と家庭教師をして,いい収入だと思いましたが,20万を超えたことはありませんでした。

それに,大学を卒業しても自営業をなされていたとは・・・。

さて,その教員5年目で20代後半の方に,ヘンな疑いを晴らすためのベストのお話は,「あのブログ」に出ている内容のダメさ加減を,ご自分なりの表現で教えていただけますか?

どうしてここまで「他人事」的に教育を語れるのか。

現場の教師らしい雰囲気が全く伝わってこない現状を打破するためにも,まず,どこがどのようにダメなのか,具体的に批判してみたらいかがでしょう。

使えない年収1000万円の教員のことを嘆いていても,学校が変わらないことくらいはわかりますよね・・・。

もし,教員5年目の,20代後半で,最近,「久しぶりにブログを再開した」方がこちらを読んでいただいているようでしたら,少しおことわりしておきます。

コメント欄への書き込みを削除されるそうなので。

私はありとあらゆる場所から,「教育の失敗情報」を集めています。

これから記事にする内容が,そちらのブログに出てきた話題に関することかもしれませんが,私の記事は,話題を提供していただいた方を直接非難するわけではなく,「そういう問題は多くの場合,こういう原因で起こり,こういう対処の仕方が必要だ」と私が考えていることを述べているにすぎません。

ですから,ご自分のことを非難されたとは,思われませんように。

私がコメントを差し上げたブログの方と判断させていただいてよろしいのでしょうか。

教師になって5年目の,20代後半の方ですね。

もしもその方なら,不快な思いをさせてしまって,申し訳ございませんでした。

本当に内容や考えていることがそっくりのブログがあって,瓜二つであることは確かです。

反応の仕方も同じ。嘘は申しません。びっくりするほどそっくりなんです。

ぜひとも,ご自分の5年間の経験のなかから,実践にかかわることをどんどん発信してください!

そうすれば私の疑いはすぐにでも晴れますよ!

くれぐれも,「ああいうふう」にはならないでくださいね!

ところで、全く関係のない2人のブログをろくに確認も取らずに、自作自演だと決めつけて、不快な思いをさせたことはもうどうでも良くなってしまいましたか?

素直にそのことを謝れば相手の気持ちも晴れるのに、福沢諭吉がどうのこうの語って、自分は間違っていないなんて言ってるのは、体裁が悪いのをごまかして、ごねてるだけですよ。

それはあなたの行為が間違っています。嘘つきにはならないようにしてください。黙って聞くのも間違いを犯してしまった時の相手への謝罪の念の表し方です。
自分の嘘を自分で許していいと言ってるんですよね?

このあと、すみませんの一言で語ってくれると大変先輩の背中が大きく見えてくるのですが、、、。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
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  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
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  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より