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チェック機能が働かない,いい加減な学会等の組織は何%くらいあるのか?

 学者の世界も教育現場の世界と同じように,大きく信頼を損ねるような事態がたびたび生じている。

 一般の方には「論文」というものの価値は分かっていただけないと思うが,

 それがあれば,大学や研究所の教員・研究員として採用される上での「根拠」となる。

 しかし,「論文」審査の実態というのは,私が辞めた学会では本当にいい加減なもので,「査読」というチェック機能がきちんと果たされない。

 私が「査読」して,他で書いていることのコピーみたいなもので,こういう「二重投稿」的な論文に価値はないと主張したが,ふたを開けてみれば,ほとんどそのまま学会誌に掲載され,その後,その執筆者は大学の教員になった。だから私はその学会を辞めたのである。

 同じようなことが,科学者の世界でもあったのかどうか。

 コピペも見破れないような「査読」者にそもそも論文審査を行う資格などないだろう。

 チェック機能が働かない組織など,信頼することはできない。

 また,謝罪会見が開かれるのだろうか。

 ちやほやした新聞や雑誌は「だまされた」といって怒りをあらわにするのだろうか。

 私なりの意見を書かせてもらえば,チェックできなかった連中も「連座制」にするべきである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より