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学級王国の「おうさま」の開き直り方

 ある学級では,ゲーム機を持ち込むことが可。

 ある学級では,お菓子を教室に持ち込むことが可。休み時間なら,いつ食べてもいい。

 ある学級では,マンガを持ち込むことが可。授業中でなければ,いつ読んでもいい。

 保育園でもやられていないことが,小学校の教室では行われている。

 小学校の学級王国は,教師が「おうさま」であったり,児童が「おうさま」であったりもする。

 児童の「おうさま」が「今日は体育をやりたくない」と言ったら,

 たった一人の大人の「おうさま」は,

 ビデオを見て過ごすこともあれば,お菓子を食べながら暇つぶしをすることもある。

 家庭以上に秩序が崩壊している学級の話を聞いたことがある人はどのくらいいるだろう。

 こういう学級の教師がどういう論理で自己を正当化するのか,参考になる教育ブログの記事がある。

 人間と動物を同じレベルで比べたり,

 家庭と学校を同じレベルで比べたりする。

 「ゲームして時間をつぶしたい」と主張する担任と,

 「マンガを読みたい」と主張する子どもの「おうさま」の対決になった場合,

 どうなるのだろう。

 結局はみんなそれぞれバラバラに好きなことをするに決まっている。

 単独世帯がどんどん増えているのは,高齢化だけが原因ではない。

 一人でいれば,「やりたいことをやって何が悪い」という説明をいちいちしなくてすむ。

 「学級王国」の「話法」は,「好きなように生きろ」だから。

 中学校に入って,「社会のルール」に従えない子どもが続々と現れる。

 講師の先生に,授業中に読んでいたマンガ本を取り上げられた中学1年生が,

 怒り心頭で職員室に現れたという話を同僚の先生からお聞きした。

 もう一度書くと,怒り心頭で職員室に来たのは,マンガ本を取り上げられた

 中学1年生の女子生徒である。

 「なぜマンガ読んじゃいけないの?」

 そのあとの話はここでは書かない。

 こういう子どもは,「ルールに従わない」のではない。

 「ルールに従えない」のである。

 「ルール」の意義を学んだことがない子どもが,続々とつくられている場所が,

 「おうさま」だらけの「学級王国」である。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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