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もし中学校の校内研修で,むごい内容の公開授業を参観したとき,若い教師は何を語るべきか?

 教職経験が6年未満の先生方にお聞きしてみたい。

 あなたは今まで,校内で何回,研究授業を行い,どの教科の先生から,どのような指摘を受けましたか?

 ・・・・・とにかく年配の先生というのは,校内での研究授業を担当するのを嫌がるらしいので,自然と若い教師にその出番がまわってくるはずである。これは,チャンスと捉えたい。

 今日の話題は,万が一,ベテランの先生が授業をして,それがむごい内容・・・・具体的にどのような状況になっているかは,ご想像におまかせしたい・・・・だった場合,若い教師の立場で,何か言えるか,ということである。

 結論から言えば,正直に思った通りのことを伝えるべきである。

 それがどんなに

 「生意気」だと思われようが,一刀両断してよいのである。

 それは,若い教師だからできる特権みたいなものである。

 若い教師は,どうせ決まった年数で異動させられる。

 5年目くらいになったら,何でも言いたい放題でかまわない。

 実際にそういう経験をしてみないと,

 「本当はどういう言葉で表現すべきか」ということがわからないまま,年数だけくってしまう。

 以前にも書いたことだが,本当にむごい内容の授業について,

 ある講師の先生(文部科学省の教科調査官)が,

 魔法のような言葉でフォローしていたのには驚いた。

 褒める場所がどこにもなさそうな授業なのに,それなりに成立していたことになってしまうような「褒め方」だった。

 しかし,これは「自分にはまねができない」と思った。
 
 子どもの立場になれば,こんなにひどい授業はあり得ない・・・どこがどうあり得ないか,
 
 1分ごとにそのネタがある,というくらいの状態で,50分授業の問題点を語るのに50分以上かかるような授業だったのだ。

 若い教師の特権は,生徒と年齢が近い,ということである。

 横道に逸れるが,

 指導力不足教員のかなりの割合が,この「世代間ギャップ」への不適応を起こしているという説明がある。

 生徒の目線で語れない。生徒の言葉や行動を受け止められない。

 かけるべき言葉が見つからない。心の底から軽蔑されているように思われてくる。

 それでも現場に立って,生徒となるべく目を合わせないように,生徒と対話する場面をつくらないようにして,淡々と授業を進めている教師の様子は,ドラマなどでも紹介されているから,実体験のある人たちも多いのだろう。
 
 40代,50代の教員に多いそうだ。

 話をもとに戻す。

 若さの特権の話である。授業の感想は,ぜひとも,正直に思ったことを思った通りに語るべきである。

 それは何よりも子どものためである。

 もちろん,授業をした教師のためでもある。

 変化のための重要なきっかけになるはずである。

 そういう学校の生の現場の問題から目をそらして,評論家のようなことを書くのは全く意味がないと私は思う。

 まずは,どうでもいいところから,もちあげる。

 そして,正直に,ここはこう伝えてもらった方が,中学生なら響きやすいのではないか。

 ここは意見を中学生に言わせてみてほしかった。私が知りたかったから。

 この資料は,こういう角度で見せてもらった方が,子どもは興味をもてたかもしれない。

 私がそうだから。・・・・こんな調子で,導入の工夫,発問の仕方,話し合ったり発表したりする場面の作り方,板書の仕方,ノートのとらせ方,などなど,思いつく限りのことを伝えるべきである。

 初任者とか2年目の教師がいたら,そういう教師のためにもなる。

 遠慮することはない。

 遠慮してはならない。

 ちなみに,校長の学校経営にも疑問があれば投げかけるべきである。

 2校目は,本当に荒れた学校に異動させられるかもしれない。

 しかし,それこそが教師として成長する上で,最も重要な経験が積める場となるだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より