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元担任が,自分のことをブログで「問題児」と表現していることを知った子どもはどう思うだろう

 もう10年前になるが,通常の学級の児童生徒について,特別の配慮を要する子どもがどの程度在籍するかを行政が調査するようになった。

 ちょうどそのころ,私が指導主事として担当していた自治体の学校の管理職から,

 「今回の調査は生徒理解を深める意味でも非常に意義があった」

 との話を聞き,調査のとりまとめにあたっている教育委員会の担当に報告したところ,たいへん喜んでくれた。

 それまで,専門家でもない教師が落ち着きのない子どもに対して
 
 勝手に「ADHD」だと診断を下し,「問題児」扱いしているような状況も見られたが,

 どのような状況の児童生徒にどのような指導が適切なのか,校内でも研修を深めるようになった。

 こうして,もう10年以上前に障害をもった子どもを「問題児」などと呼ぶ教師はいなくなった・・・・はずだった。

 何のてらいも迷いもなく,

 「ADHDつまり問題児」などと呼ぶ倫理観に欠如した教師は,現場にはもういない・・・はずである。

 自分が大事にしてきた子どもに直接語りかけるのならわからないでもない。

 直接ふれあっている範囲の人間のことしか配慮できないような教師,

 直接ふれあっている人間のことすら配慮できない教師,

 ADHDの子どもを持つ親の気持ちなど何も考えられない教師・・・

 教育の歴史的大劣化は,こういう教師から始まり,いずれ深刻化するだろう。

 救世主は,やはり「首長」しかいないのか。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より