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【提言:教育委員会向け】 保護者からの「苦情」の「少なさ」ランキングの発表を!

 学校を選ぶ上で,保護者として参考にしたいことの一つに,

 「先生方にどのくらいゆとりがあるか」がある。

 学力面の課題については,教員の資質能力の差が問題になっているのは確かだが,

 実際のところ,資質能力そのものの差による結果よりは,

 中学校なら「学習指導以外の部分でどのくらい労力が裂かれているか」によるケースも多い。

 たとえば「部活だけに命をかけている教師」とか,

 「苦情対応に追われている教師」など。

 小中学校の苦情対応は,一般的には管理職が行い,・・・ということは,出張の多い校長ではなく,副校長,教頭がその対応に当たっているのだろうが,保護者から直接的に苦情をもらう,という「信用されている先生」も少なくないだろう。

 保護者対応は,「苦情的内容」と「相談的内容」に大きく分けられるが,

 エネルギーを割かれるのは前者である。

 時間的にも,精神的にも,かなりの労力を要する。

 教育委員会には,このような「保護者対応」の実態を調査してもらいたい。

 保護者としては,そのデータを知りたい。

 もちろん,「事実を隠す」ことも想定内である。

 しかし,教育委員会には,「保護者対応」が多い,かつ,重い,という訴えがあった学校には,どんどん優先的に人員を配置することを検討する(行政用語で「検討する」は,「何もしない」という意味にもとれるのだが,ここではその点は無視する),というメッセージを発するきっかけになる。

 普通に考えれば,「保護者対応」のうち,「苦情対応」に要する時間が少ない学校ほど,教師は通常の教育に時間を費やせているという安心が得られる。

 「相談的内容」に要するエネルギーを公開すれば,

 「親身になって保護者の話を聞いてくれる」という安心感をPRすることにもなる。

 ぜひ,前向きに(・・・これも行政用語で,「何もしない」ことも意味するが)検討してほしい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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