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3・11にできること

 仮設住宅で暮らす高齢の被災者の健康が心配である。

 震災前の自宅で園芸を趣味にされていた方は,仮設住宅の中でも植物を育てていらっしゃるが,

 水をあげるのが嫌になるときがあるという。

 ふと,私の父が癌と闘っているとき,「どうして自分が」とこぼしていたのを思い出した。
 
 幸福がすべての人に平等に訪れないのと同じように,

 不幸も不平等にやってくる。

 体は衰え,やがて命も尽きていく。

 「心の復興」は,何のために必要なのか。

 学校の場合,最後の6時間目の後半に,「そのとき」はやってくる。

 もし自分の授業があれば,子どもと一緒に「黙とう」をしたかった。

 「なぜ自分にこの不幸が襲ってきたのか」という疑問に襲われる人たちにも,

 この「黙とう」の時間に,心の中で寄り添えるような人を育てたい。

 東京の場合,3・11の前には3・10もある。

 学期末を目前にしても,「心の教育」のネタは尽きない。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より