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禁断のアンケート

 中学校2年生では,近代という時代がどのような時代だったか,自分の言葉でまとめる時間をとっている。

 そこで,さりげなく教育制度の変遷を復習しつつ,現在でも「教育改革」は進められていることを紹介した。

 6・3・3制がいつから始まったのかをふり返るとともに,

 現在,4・4・4制とか,4・5・3制などが検討されていることを伝えた。

 さらに,自分の小学校時代をふり返って,

 「いつから中学生になってもよいか」と聞いてみた。

 結果は,最も多かったのが5年生,次が6年生,そして今のままでよい,という順になった。

 現在の世代のほとんどは,小学校に6年間通っているから,それが当たり前だと考えている。

 しかし,そこに見直しをかけなければならない根拠を探すとしたら,実はすでにスタート時点から4年生と5年生の間には大きな隔たりがあることが指摘されていたことが挙げられる。

 そして,現在の中2に聞いてみても,まさにその理由をもって「5年生から中学生がいい」という結論を導き出している。

 これだけ大きな制度改革を実現させるためには,小学校には気の毒だが,

 小学校5・6年生の教育成果に課題があることを証明する必要性も出てくるだろう。

 ある小学校の出身者は,小6の社会科(歴史)の学習のほとんどはビデオ鑑賞だった,という。

 私自身の経験で言えば,音楽専科の教師なのに,ほとんどレコードで音楽鑑賞ばかりをさせられた。

 こういう授業をしている人間に税金が投入されているのである。

 ビデオを見せるだけなら,何の資格も必要ないだろう。

 小学校の元教師のなかには,「指導計画,評価計画」の知識がゼロの人間もいるようだ。

 学習指導要領はおろか,教育法規に関する知識が全くない。

 採用試験では,もっと法令に関する問題の割合を増やしてもよいと思われる。

 資格試験的な性格を持たせるようにしないと,今のように2人に1人が受かるようになってしまうと,だれでも合格できてしまうのと同じようなものである。

 口伝えの情報,掲示板への書き込みをいくら集めてみても,それは「客観的なデータ」とは言えない。

 学校に対して行われている様々な調査に対して,「本当のこと」を報告しているのか,チェックを入れてみるという方法でもよい。

 そして,第三者による大規模な「学校における教育の実態調査」を行ってもよい。

 教育委員会ではなく,自治体として調査するのである。

 ごまかしようのない「禁断のアンケート」が,現実のものになる日は近いだろう。

 公務員も国民なのだから,自由を尊重しろ,なんていう小学生のようなことを書いている人間がいるが,こういうのはそもそも社会人などとは呼べないただの子どもである。

 起業して好きなように経営してみるのがよいだろう。

 失敗して初めて社会とは何かを学ぶことができるかもしれない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より