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若い先生の年寄り臭い教育現場レポート

 若いはずの人から若さが感じられないのはなぜだろう。

 教師になって5年目で,最初は中学校の教師だったのに,今は小学校の教師?

 排他的な人間観は,どうやって育まれてきたのだろう。

 周囲にいる教員は,いったいどういう「教育」をしているのだろう。

 この教育ブログの世界には,ときどき若い先生の実体験を綴るようなブログが登場し,そしていつの間にか消えていく。
  
 若い教師ほど,ブログを書いている暇はないはずである・・・・なんていう嫌味を,同じ職場の先輩教師の立場だったら言うだろう。

 書いているのが自分の悪口だということを知ったら・・・・ただではすまされない。

 ・・・・なんてびくびくする必要はない。

 ブログを書くことがストレス発散にもなるなら,それはそれで子どものためになる。

 国民には,「悲惨な教育現場の実態」を「知る権利」がある。


 あるブログに書かれている内容は,コメントにも書かせていただいたが,

 すでに退職して何年もたつ元教員が書いていると思われるほど,

 「古臭い」現場観に満ち満ちている。

 言葉づかいも非常に「年寄りっぽい」。

 これは正直な感想であって,決して「悪口」のつもりではない。

 「大昔」と変わらない学校の実態があるのだな,と感慨にふけっている。

 現場でたった5年しか経験していないのに,これだけのことが書けるということは,

 とても「優秀な観察者」「熟練の批判者」である。

 どの校種の,何の教科を教えているのか全く不明のそのブロガーの「実践」紹介の登場を楽しみにしている。

 今のままでは,ただの「評論家」にすぎない。

 メディアでの露出が多い「教育評論家」は,むごいキャラクター設定の影響で苦しんでいるように見える。

 ああなってしまうと,もう二度と教育現場には戻れないだろう。

 それにしても,自分が批判していることを自分がそっくりそのまましていて恥ずかしく思えない理由が分からない。

 そこまで「大先輩」を見習う必要はないと思うが。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より