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「不燃性」教師の増加に歯止めを

 京セラをつくった稲盛和夫さんの言葉に,

>人間には「自然性」「可燃性」「不燃性」がいる

 というものがあります。

 強い「自然性」をもったリーダーに,「可燃性」に富んだメンバーがついていく,

 そういう強い組織のイメージは,

 いい先生に恵まれた経験のある方なら,ご自身の学校での体験として思い浮かべることができるでしょう。

 どうして自分はあんなに燃えていたのか?

 その火は,だれからうつったものか?

 もちろん,生徒の中にも,「自然性」の強い子がいる。

 こういう子がいる場合は,むしろ教師は「不燃性」に徹していた方が,

 仲間同士で「可燃性」を高め合う,なんていう体験をもたせることにつながるかもしれません。
 
 しかし,普通の学校ではそんなことはごくまれです。

 
 問題は,今,「不燃性」教師が増えていることでしょう。

 まわりの火を消す威力さえ持っている,堅牢な「不燃性」を持て余す学校現場が増えていることと思います。

 「可燃性」も人からの影響を受けやすい,という意味にとれますが,

 実は「不燃性」の影響力も,決して無視できないものがある。

 それぞれがそれぞれの殻に閉じこもった生活を送っている学校・・・。

 学校という場所は,ふつう,「活気」があるところです。

 ですから,「不燃性」教師集団に出会うと,非常に面食らいます。

 「冷静な理性」があるわけではない。

 「無気力」という濃厚な大気におおわれたその場所には,

 「新しいものを創り出す喜び」はなく,ただただ時間がたつのを待っている人たちがいる・・・。

 学校をこういう場所にしないために,何が必要なのでしょうか。

 たとえば,問題行動が起こると,教師たちは「火消し」に没頭する場合がありますが,

 荒れた学校を立て直した経験がある教師なら,

 そういう時こそがチャンスだということが分かるでしょう。

 教師同士は,結束するチャンス。

 教師と子どもとは,信頼関係を作り直すチャンス。

 子どもと子どもは,再チャレンジの大切さを自覚し合うチャンス。

 問題行動をつぶすためのエネルギーよりも,
 
 問題行動から次の行動へと移るためのエネルギーを最大化すべきです。

 「自然性」「可燃性」がある人たちが,

 まずは正しい「点火のタイミング」を見極めてほしいと思います。

 ありきたりの言葉ですが,

 教師が変われば,子どもが変わる。学校が変わるのです。


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コメント

回避性愛着障害というキーワードが端的に表していますね。
歯止めがかからない理由が養育環境にあり、まさにデフレスパイラル永遠に改善する見込みはありません。不燃性という表現あたかも本性を現しているかのごとくですが、実は後天的なものです。
そして、学校がその不燃性を広く拡散し正常な人がいなくなる。せめて採用の段階でまともな人材を選んでほしいものです。
 特に演技性や境界性人格障害の人が教壇に立つ、恐ろしいことです。とあるブログで往生したような人格の教師が実に多い。部活で優勝したとかそのたぐいの自慢話は実にくだらない。
 そういう教師の下でなにを身につけたか、結局行き詰まると暴力や暴言で人をコントロールしようとする、そのやり方大問題です。特に大阪市の教員は特に免許更新制よりメンタルテストを実施すべきでしょう。
 不燃性云々を言う以前に、教師として当たり前の動機付けが全く行われていない、そういう問題にたどり着くと思います。教員養成課程でそういう当たり前のことが全く習得されない、そういうことに注目しない、免許さえ取れれば余分なことはしない、(これ回避性)全てが回避性に向かって動いているといえるでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より