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教育ブログなど,真面目に読まないように!

 そんな断り書きは,メディアリテラシーを学んだ人には全く必要ありませんね。

 しかし,本当に「藁をもつかむ」ようなゆとりのない人にとっては,こんな教育ブログでも「心のよりどころ」になってしまう。哀しいことです。

 ゴーストライターに暴露されてしまった「有名人」が,若いころからある癖をもっていたことまでばらされてしまっていますね。

 この癖は,小さいときには「自分を大きく見せるための手段」として,だれでも一回くらいは使ったことがあるかもしれません。

 でも,その癖が大人になっても抜けない人がいる。

 こういう人が混じっている教育ブログは,本当に警戒が必要ですよ。

 その癖は,程度によって許されるものもあるでしょうが,決して許されないものもある。

 教育ブログの中には,かつて教師だった人間が,自分の経歴をぼかして,

 ブログを書いている教員への不満を垂れ流すようになっているものがあります。

 内容も理解できていない本の表紙を記事で使うくらいは可愛いものですが,

 自分を批判する人間に対する文字の起こし方は,見苦しいの一言に尽きる。

 「頭のなかみ」にふれるあたりは,もうそっちの領域では紛れもない「本物」のしるしです。

 過去の記事はそのままだから,さかのぼってみれば自分の正体はすぐにばれるのに,

 「私は学校とは無関係な人間」などと偽って,教育問題に口出ししている。

 老人の暇つぶしだと見逃せばよいのかもしれませんが,自分の問題点にまともに向き合おうとしない態度にふれるたび,似たような態度で子どもばかりか教師集団にまで迷惑をかけている人たちを思い出し,本当にやりきれない思いになっています。

 学校の教師は,問題行動を繰り返す子どもや,子どもを守るためならどんな嘘でも平気でつくような親たちに振り回されることがあるのですが,そんなことは,「結局は自己責任で,どうにかしてくださいね」ですますことができる。どんな「正当な助言」にも耳をかさないのであれば,「それではあとは,おまかせします」で終わりにできる。

 しかし,一番やっかいなのは,学校のなかでわがままにふるまう同僚なのです。

 職場の集団が一枚岩になれないことのつらさは,別に教育の業界でなくても,わかってもらえるでしょう。

 「頭のなかみ」にふれるような人間は,

 そういう原因で病気休職に入った教師たちを,冷たい目で見るのでしょうね。

 だから,少しでも自分に危険な兆候がある教師については,こういう人間のブログにふれないことをおすすめします。

 人の冷たさというのは,文章から伝染してくるんですよ。

 人間不信に陥っていきます。

 人間不信に陥った人間は,「目」の動きをみれば,わかりますよ。

 読んではいけないブログのヒントは,危ない「目」の動きです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より