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「褒め癖」をやめれば子どもは「まともに」成長する

 ピグマリオン効果というのを知らない教育者はいない。

 だから,「褒めて伸ばす」という「教育方針」が存在する。

 「実験」を繰り返して,「褒めてやれば伸びる」という信念を獲得した人も多いだろう。

 もしそれが正解なら,

 40人の子どもを一人ずつ,丁寧に褒めてあげればよいのである。

 「伸びたことを認めて褒めてあげること」が大切なのに,それがいつしか,

 「何でもないこと」もつい褒めてしまうようになってしまう。

 これを「褒め癖」と呼ぶ。

 「褒め癖」は,「人を褒めることができない」という課題を抱えている人のための,「褒め方」練習として身につけさせよう,というならわかるのだが,子どもをよく見て知っているはずの人がそれに陥ると,

 気の毒な子どもがどうしても増えてきてしまう・・・つまり,「勘違い」系の子どもたちである。

 「どんな意見でも,発表することが大切」

 「自分の意見を発表することが大切」

 という小学校の習慣はわからないでもないのだが,

 中学校になると,

 「他の子どもと全く同じような意見の発表」

 「他の子どもとほとんど同じなのに,無理矢理ほんの少しの違いをつくっての発表」

 「話の流れとは全く無関係の,自分の考えの発表」

 などは「注意」の対象となってしまう。

 堂々とこういう発表する子どもが多いことから,

 「勘違い」系の潜在数はかなりのものになると考えられる。

 いつしか「発言が減る」ことになって,これを小学校の教師は中学校の教師の責任問題にしたがっているが,

 「当たり前の現象」であることに気づいてほしい。

 そもそも小学校の教師も,10人くらいが手を挙げているのに,

 9人に発表のチャンスを与えず,1人に代表させることもある。

 残りの9人に全く同じようなことを繰り返し話させるような時間のゆとりがあるのが小学校である。

 実は,これが「学力低下」の原因の一つになっている(と私は考えている)。

 「褒めるポイント」「褒めるレベル」は,

 指導者の理想や子ども理解の度合いによって,かなり違ってくるものだが,

 中学生くらいの年齢になると,

 「褒められて本当にうれしくなるツボ」ができあがってくる。

 ここを見極めてあげることが,・・・・・何より,

 「褒められる」ような行動を起こす機会を与えてあげることが,

 教師の大事な役割となる。

 子どものやる気を伸ばしたい・・・・そんな低レベルの動機だけで,

 子どもを叱らない,

 子どもを褒め続ける,

 そんな悪習は捨てた方がよい。

 育てなければならないのは,

 調子に乗せられてふわふわと浮かんでいるような子どもではなく,

 しっかりと自分の足を地につけて,確実な一歩が踏み出せる子どもである。

 「褒め癖」が子どもの忍耐力,持久力を奪ってしまっていないか,

 自分の教育の足下を見直してもらいたい人が多い。

 こういうのを「単なる教育観の違い」とは呼ばないでほしい。

 大学の先生でも,最近は「褒めて伸ばす」ことを真剣に考えているようだが,

 「be動詞の意味を教えている大学」とはまた別の意味で問題である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より